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鎌倉期寺院勢力の権力構造に関する研究

研究課題

研究課題/領域番号 18720168
研究種目

若手研究(B)

配分区分補助金
研究分野 日本史
研究機関徳島大学

研究代表者

衣川 仁  徳島大学, 総合科学部, 准教授 (10363128)

研究期間 (年度) 2006 – 2007
研究課題ステータス 完了 (2007年度)
配分額 *注記
500千円 (直接経費: 500千円)
2007年度: 200千円 (直接経費: 200千円)
2006年度: 300千円 (直接経費: 300千円)
キーワード鎌倉時代 / 比叡山延暦寺 / 寺院大衆 / 集会事書 / 朝廷 / 閉門・閉籠 / 悪僧 / 院政 / 鎌倉期寺院 / 強訴 / 学頭
研究概要

本研究の目的として、大きく3つの課題を設定していた。すなわち、(1)鎌倉期延暦寺の集団訴訟の実態とその歴史的意義、(2)世俗権力との関わり、(3)宗教的側面の構造の解明である。平成19年度は、前年度に行った(1)集団訴訟に関して、(2)(3)の要素を踏まえて文章化した。
鎌倉期の延暦寺は、治承・寿永の内乱を経て如何に変化したかということを踏まえる必要がある。というのも、平安末期の平氏政権期には、通説的に南都寺院とは異なり"平氏寄り"だとされた延暦寺が、鎌倉幕府の成立によってどのような武家対策をとったかということが重要になってくるからである。そこで延暦寺大衆は、悪僧排除の励行を装う堂衆の排除を断行したが、それによって比叡山全体での結合(=「満山」)が可能となった。「満山」という全体が生み出す決議は、当時の社会においては一定の正当性を有したから、世俗社会からもその行動(それが「閉門」という強訴の一種であっても)は認められることとなった。
しかしながら、既に院政期段階で内部に様々な矛盾や対立を抱え込んでいた延暦寺大衆は、「満山」という全体性を常時継続することは出来ず、かえって理想的な「満山」からはみ出さざるを得ない小集団を生み出すことになる。彼らが鎌倉後期比叡山に頻発する「閉籠」の主体となったのではないかと考えられる。
鎌倉後〜末期の比叡山にみられた混沌とした状況は、中世後期に向かって寺院が頽廃していく過程ととらえられることもあったが、本研究では、これを幕府成立に関連して生み出された平和への対応と、それによって排除された集団運動として把握し、寺院大衆の問題としてとらえ直した点に意義があると考える。

報告書

(2件)
  • 2007 実績報告書
  • 2006 実績報告書
  • 研究成果

    (2件)

すべて 2007

すべて 学会発表 (1件) 図書 (1件)

  • [学会発表] 閉門・閉龍と鎌倉期の延暦寺大衆2007

    • 著者名/発表者名
      衣 川 仁
    • 学会等名
      裁許状研究会
    • 発表場所
      レジーナ京都
    • 年月日
      2007-04-08
    • 関連する報告書
      2007 実績報告書
  • [図書] 中世寺院勢力論ー悪僧と大衆の時代-2007

    • 著者名/発表者名
      衣 川
    • 出版者
      吉 川 弘 文 館
    • 関連する報告書
      2007 実績報告書

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公開日: 2006-04-01   更新日: 2016-04-21  

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