研究課題/領域番号 |
18J00665
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 国内 |
研究分野 |
建築史・意匠
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研究機関 | 千葉大学 |
研究代表者 |
江本 弘 千葉大学, 工学研究院, 特別研究員(PD)
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研究期間 (年度) |
2018-04-25 – 2021-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2020年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2020年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2019年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2018年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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キーワード | 近代建築史 / グローバル・ヒストリー / ジャポニスム / 桂離宮 / ジャポニズム / 世界史 / 歴史様式 |
研究実績の概要 |
2020年度の研究では主に、これまで日本語史料のみが扱われてきた桂離宮の受容史研究について、英・独・仏その他の言語の文献・雑誌記事まで調査を拡大した。これにより、1930年代以降、戦間期の日本国外への桂離宮に関する知識生産に、大きく2つの経路が判明した。ひとつは対ドイツ語圏に行われた、建築界の国際交流である。この経路においては、ドイツ語圏の日本建築に対する関心と吉田鉄郎などの日本人建築家の宣伝戦略がマッチし、近代建築の範としての桂離宮像が定着した。一方、観光立国のために日本政府主導で対米を中心に行われた桂離宮の宣伝は、桂離宮が観光地でないことなどの理由で低調であり、またアメリカ/イギリスでは1950年代半ばまで、西洋古典建築のような形式性に欠ける、装飾過多などの理由で桂離宮の内部評価は低いままだった。 この状況に変化が訪れるのは、1940年代末のアメリカにはじまる戦後ジャポニズムであった。戦後復興期において、日本の対外的アピールのためのアイコンとされたのが桂離宮であり、このときには日本政府主導の桂離宮の宣伝も高まりをみせた。アメリカにおける桂離宮の低評価は、戦間期の亡命ドイツ人や、戦後渡米した日本人建築家、また、戦後に実地日本で日本建築研究が行えるようになったドイツ語圏の建築研究者らの知識生産などによって、1950年代半ばまでには一転した。そして戦後アメリカニズムは、こうしたアメリカの桂離宮評価の伝播を仲介することともなった。 1950年代はまた、日本の現代建築が世界的な認知を得る時期でもあった。「近現代建築の原理の祖形」としての桂離宮評価の高まりは、この日本現代建築の評価と重なり、アジアを含まず発展途上にあった西洋中心主義の「近現代建築の世界史」のなかに、日本が組み込まれるための契機となった。
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現在までの達成度 (段落) |
令和2年度が最終年度であるため、記入しない。
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今後の研究の推進方策 |
令和2年度が最終年度であるため、記入しない。
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