2019年度では、日本の梵讃の研究に必要とされる悉曇学の概念をまとめ、特 に「連声」概念に注目した。幾つかの声明曲の実例を参照しながら、この「連声」という概念が、音節の音量と関連を持つのと同時に、声明の旋律型にも深い関係を持つことを証明した。
そして、応永2年(1395)に最初に書かれた『声實抄』、文明期(1469~1487)に書かれた『声明集聞書』、明応5年 (1496)に書かれた『声明口伝』、応永2年(1395)と応永20年(1413)の間に成立した『声明集私案記』の四つの書物と、11個の梵讃を対象として、四つの段階からなる分析を行なった。最初に各梵讃の出典と歴史をまとめ、次に各梵讃の唱え方を記した真言声明の口伝書とそれらの所在を取りまとめた。そして、口伝書の中の梵讃の唱え方に関する部分を書き下し、現行日本語に翻訳した。更に、梵讃の詞章の音韻構造と旋律の動きの間の相互関係を分析し、その結果を各梵讃の分析表にまとめた。簡潔でいうと、真言声明の梵讃には、サンスクリットのアクセントに関わるA型 とB型の二つの大型旋律型が現れる。A型に関しては、「呂調」のみに現れ、B型は、「律調」のみに現れることを明らかにした。
最後に、アジア大陸における仏教声楽の歴史から、日本の梵讃との接点を探り、梵讃の伝来について、仮説を提示した。1世紀~5世紀までの大乗仏教声楽は、ヒンドゥー教声楽とほぼ同じであ ったと思われるので、両者におけるヴェーダの詠唱方法と曲種分類との関係について研究した。これらの曲種分類を、慧皎 (497~554)の『高僧伝』に現れる、大乗仏教声楽の曲種分類と比較した上、それらの間の関係を解明し、日本の梵讃の原型のインドから中国へ、そして中国から日本への伝来の道筋を照射した。その結果、日本の梵讃が最終的にインドのブラフマギータまで遡る可能性が高いという仮説を提示した。
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