研究課題/領域番号 |
18K00112
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01040:思想史関連
|
研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
東島 誠 立命館大学, 文学部, 教授 (10364837)
|
研究期間 (年度) |
2018-04-01 – 2021-03-31
|
研究課題ステータス |
完了 (2020年度)
|
配分額 *注記 |
2,990千円 (直接経費: 2,300千円、間接経費: 690千円)
2020年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2019年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2018年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
|
キーワード | 無縁 / 無教会 / 無所属・無党派 / 人格的・非人格的支配 / 公共性・公共圏 / 神観念 / 内村鑑三 / 網野善彦 / 人格的/非人格的支配 / 無所属 / 無党派 / 公共性 |
研究成果の概要 |
本研究は、内村鑑三の「無教会」運動という新たな連帯の可能性と、日本社会における「公共性」の構造との関係に光を当てることを目的としたものである。既往の議論が重視してきた「による自由」に対し、「無教会」は「からの自由」を目指したものであり、歴史学者網野善彦の「無縁」論はこの点で通底する。 しかし本研究は、網野の議論では混同されていた「無主」と「無縁」とを峻別し、「所有」と「所属」の連関を問い直す。日本社会において「所有」主体としての自立した「個」よりも、集団に「所属」する曖昧な「個」が支配的であった根柢には、「誰のものでもない」という、「所有」を〈脱-人称化〉する「神」の観念があったからである。
|
研究成果の学術的意義や社会的意義 |
根柢にあるのは第二次集団の質、すなわち、人が自然に帰属する第一次集団から出でて創り出した二次的な〈共同性〉が、果して人々を自由なしうるか、という問いである。「教会」よりも「無教会」に注目するのは、「による自由」よりも「からの自由」に着目するからである。日本史上の公共性の構造においては、自治組織のような「共同体による自由」は芽生えても、共同体が上位権力と同質の抑圧機構として作動し、「共同体からの自由」はきわめて脆弱であった。無教会をはじめとする「所属からの自由」は、根無し草ゆえの短命という宿命を帯びつつも、日本社会に稀薄だった新たな連帯、公共性の形を目指す運動であり、その歴史的水脈を解明した。
|