研究概要 |
1.頭取大工小八重平兵衛道義が寛政10年に榎原神社(南郷町)神殿、石の間、拝殿と摂社櫻井神社神殿、幣殿、拝殿を造営していることを指摘し,作風を解明した。 2.上掲の造営に「大工」として参加した松浦藤右衛門が天保3年に潮嶽神社に(北郷町)神殿、幣殿、拝殿の造営に「大工頭取」として造営指導したことを指摘し,作風及び技術の伝播方法と組織を解明した。 3.大工甲斐庄吉が明治5年桑野内神社神殿(五ケ瀬町)を,同20年八幡神社お旅所(高千穂町)を造営したことを指摘し,両建物の作風と技術は特徴的解明した。 4.大工荒田甚右衛門有起は天明4年新田神社(川内市)拝殿、舞殿、四足を,蒲生神社(蒲田町)神殿を,「惣大工」として造営し,文化元年に宮浦神社(福山町)神殿を「御大工頭」として造営したことを指摘し,作品と技術の伝播方法を解明した。 5.大工林杢右衛門橘林〓は八幡神社(高千穂町)神殿を明和8年に「大工」として造営し,同町黒口神社を寛政5年に「大工棟梁」として建立したことを指摘し,その作風と技術の伝播方法と組織を解明した。 6.大工阿蘇鉄矢中臣政辰は弘化4年に指宿神社(指宿市)神殿、拝殿、舞殿、勅使殿を,嘉永2年に東霧島神社(高崎町)神殿、拝殿、舞殿と住吉神社(末吉町)神殿を「大工頭」として造営したことを指摘し,その作風と技術を解明した。 以上のうち,4.の宮浦神社神殿は平成13年の台風で倒壊した。よって,このような研究は早急にやらなければならないことが判明し,研究の意義と重要性を具体的に指摘することができた。
|