本年度は、昨年度に続き、ロシア帝国のエチオピア正教会に対する宗教政策についての分析を行った。 5月には日本アフリカ学会学術大会 (於龍谷大学) に参加し、国内の若手エチオピア研究者たちと交流するなど、アフリカ研究者とのネットワーク作りに努めた。また、7月から8月にかけての2週間にわたり、サンクトペテルブルク (ロシア) のロシア科学アカデミー・東洋学研究所文書館、ロシア科学アカデミー・アフリカ研究所、およびロシア民族図書館において、帝政期のロシア正教会とエチオピア正教会との関係を示すロシア語文献を中心に収集した。 特に文書館での調査においては、エチオピアの国王や聖職者と深い親交を結ぶことに成功したロシア人官僚の手記を分析した。この調査は、ロシア帝国がエチオピア正教会と同盟しようとした背景には、単にエチオピア側からの教会合同に応じるという受身的な事情ではなく、聖地エルサレムに宣教団を派遣して勢力を伸ばしてきたルーマニア正教会に対抗するという、正教圏の盟主を自任するロシア側にも積極的な理由があった、という新しい事実の発見につながった。 これらの成果を日本アフリカ学会で発行している学術誌に投稿し、ロシア史研究の側からアフリカ史研究への貢献を目指す予定だったが、本年度から失職したことから研究の続行を断念した。現地調査の成果は、今年5月に公刊予定の著書『ロシア帝国の膨張と統合-ポスト・ビザンツ空間としてのベッサラビア』(北海道大学出版会) に盛り込んでいる。
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