ヒッタイト帝国トゥトゥハリヤ王の山の神への傾倒を考古学的及び文献学的に総合的に検証し、歴史的背景から解釈を行った。トゥトゥハリヤが王名としてではなく、建築儀礼や祭祀文書には「聖なる山」として古ヒッタイト語で記述され、それがヒッタイト帝国の地アナトリアの先住民である、ハッティ系文書に限定している事象を国際的に周知させ、同王がヒッタイト帝国で現時点では、山の神を初めて具像表現として印影に施した事実を指摘した。更に当時は一貫して天候神が主神であり、山の神は低位の神であることを検証しパンテオンに変化はないことを確認した。 王の名が当時強い影響力のあったフルリではなく、ハッティ系である必要性があることに焦点をあてた。トゥトゥハリヤ4世は、父親の勧めに反し異国の神を自身の守護神とせず、ハッティ系の山を自身の象徴とした。つまり首都において治世を行う王という正当性を周知させる対外的必要性から、先住民ハッティに強く回帰し、山の神を象徴的に用いたという解釈を国際的に発表した意義と重要性が本研究の成果である。
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