研究概要 |
本研究では,中世寺院社会における訴訟文書・唱導資料と延慶本『平家物語』本文との関わりについて,具体的な交渉関係を検証した。東京大学史料編纂所に影写本が所蔵される池田庄太郎氏所蔵文書は,建保2年(1214)の園城寺牒状と興福寺返牒を含むが,延慶本はその一部を巻五の本文に取り入れていることを指摘した。延慶本は仏法破滅が国家の衰退に繋がるという歴史認識のもと,寺院社会で頻発する争いに多大な関心を寄せる立場から物語を構築していることを明らかにできた。また,訴訟文書自体の基礎的研究として,名古屋大須真福寺所蔵『東大寺具書』の翻刻・公刊を行った。これは鎌倉末期に東大寺と醍醐寺との間に起こった本寺争いで提出された訴訟文書で,延慶本が書写された時代の寺院社会の様相を研究するための重要資料となるものである。唱導資料については,出家受戒儀礼の場で用いられた出家の功徳を讃歎する要文が,延慶本巻五の本文に活かされていることを明らかにした。戦場を離脱した平維盛を高野山・熊野巡礼へ導いた滝口時頼入道の言葉には,儀礼の場で利用された出家讃歎の要文が用いられているが,通常の儀礼の場とは異なり,維盛の滅罪を保証し,浄土へと導く働きを担っていることを指摘した。これらの研究により,延慶本を中世寺院文化圏の中で読み解くことの意義が一層明らかになったと考える。また,延慶本本文を注釈的に読むという仕事を着実に一歩前進させることができた。
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