研究課題/領域番号 |
19F19735
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研究種目 |
特別研究員奨励費
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 外国 |
審査区分 |
小区分01040:思想史関連
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
古川 裕 大阪大学, 言語文化研究科(言語社会専攻、日本語・日本文化専攻), 教授 (90219105)
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研究分担者 |
QIU YONGXIN 大阪大学, 言語文化研究科(研究院), 外国人特別研究員
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研究期間 (年度) |
2019-07-24 – 2021-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2020年度)
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配分額 *注記 |
1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
2020年度: 700千円 (直接経費: 700千円)
2019年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 沈鈞儒 / 憲政思想 / 日本留学 |
研究開始時の研究の概要 |
沈欽儒(1875-1963)は、中国近代史の幕開けとなる辛亥革命から五四運動にかけて日本に来て学び、中国の近代化において大きな役割を果たした人物であるが、その人生や思想遍歴については、中国国内や日本では知る人が少ない。 本研究では、沈欽儒が法政大学で学んだ1905年から1908年にかけての歴史をたどり、この東京留学期間中に何を学び、どのような思想遍歴を経たかについて研究を行なう。 また20世紀初頭の時期に、新しい概念を中国語がどのように日本語から吸収したかについて、言語交流の面から新たな角度から研究を行なう。
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研究実績の概要 |
沈欽儒(1875-1963)は清末時代に憲政思想を提唱し、中国憲政制度の創始者の一人である。1949年の政治協商制度で、中華人民共和国の初代最高人民法院院長となった。20世紀初頭の清国官費生として1905年10月から1908年にかけて日本へ渡り、私立法政大学法政速成科に入って留学した。彼の人生において、異国の日本東京で過ごした時間は1905年から1908年にかけてのわずか四年に満たないが、これは沈欽儒の人生においては30歳から33歳にかけての青年期および壮年期の入り口にあたり、この時期に故郷を離れた異郷で学び、自ら経験したことが、沈欽儒にとって、その後の思想的骨格を作ったといっても過言ではないと思われる。そこで、本年度は沈欽儒の思想的遍歴を詳細に調査することに注力した。特に、沈欽儒が青年期を送った20世紀初頭の東京の状況について、書籍や資料などを収集し、生き生きとした当時の歴史状況を実証的に知ることに努めた。具体的に以下の通りである。 一、実地調査を行った:2019年10月に中国の嘉興市へ行って、沈鈞儒記念館を見学し、関連資料を調べた。2019年11月に東京へ行って、法政大学を見学した。2020年1月に中国の嘉興市へ行って、沈鈞儒記念館で関連資料を調べ、沈鈞儒の著書を一部買った。 二、図書館で関連文献を調査した:この一年間、主に大阪大学総合図書館で関連文献を調べた。また中国知網を利用して、オンラインで入手可能な電子資料も読んだ。2019年11月に東京へ行った際には、法政大学図書館を利用した。また、2019年12月に中国の嘉興市へ行って、嘉興学院図書館での資料調査もした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
沈欽儒が青年期を送った20世紀初頭の東京の状況について、書籍や資料などを収集し、生き生きとした当時の歴史状況を実証的に知ることを目標としているが、2020年2月に、嘉興市沈鈞儒研究会で研究報告を行い、3月には東京へ再度出張して、現地調査と東京での留学生活に関する資料収集を行う予定であったにもかかわらず、新型コロナ肺炎の蔓延状況が収まらず、日本からの中国への渡航禁止が発令され、また日本国内にも緊急事態宣言が発出されるに至り、学会発表、現地調査、資料収集がいずれも不可能になってしまったことが大きな客観的理由である。
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今後の研究の推進方策 |
沈欽儒が日本留学において青年期を送った20世紀初頭の東京の状況について、書籍や資料などを更に広範に収集し、当時の歴史状況を実証的に知ることを継続目標としている。 そこで、2020年2月に予定されていた嘉興市沈鈞儒研究会での研究報告の内容を論文にまとめて学術誌に投稿する予定である。 また、日本と中国の社会情勢を見て東京と中国へ再度出張して、現地調査と留学生活に関する資料収集を行う予定である。
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