研究課題/領域番号 |
19H01297
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03010:史学一般関連
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研究機関 | 法政大学 |
研究代表者 |
小口 雅史 法政大学, 文学部, 教授 (00177198)
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研究分担者 |
八木 光則 岩手大学, 平泉文化研究センター, 客員教授 (00793473)
小嶋 芳孝 金沢大学, 古代文明・文化資源学研究所, 客員教授 (10410367)
岩井 浩人 青山学院大学, 文学部, 准教授 (10582413)
右代 啓視 北海道博物館, 研究部, 学芸員 (30213416)
鈴木 琢也 北海道博物館, 研究部, 学芸主幹 (40342729)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
17,160千円 (直接経費: 13,200千円、間接経費: 3,960千円)
2022年度: 3,380千円 (直接経費: 2,600千円、間接経費: 780千円)
2021年度: 3,640千円 (直接経費: 2,800千円、間接経費: 840千円)
2020年度: 4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2019年度: 5,980千円 (直接経費: 4,600千円、間接経費: 1,380千円)
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キーワード | 防御性集落 / 要害内集落 / 交易と交流 / ガラス玉・土器・鉄器 / 北の内海世界 / 須恵器・ガラス玉・鉄器 / 防御的集落 / ガラス玉十時と鉄器 |
研究開始時の研究の概要 |
北日本には「防御性集落」と呼称される集落を壕や土塁などで囲郭した特異な遺跡が存在する。しかも類似の遺跡は、北海道からサハリンにかけても存在している。さらに大陸沿海地方の山城が、日本と同じく10世紀代に防御的要素を持つことも明らかになっている。各地域で次第に明らかになっているこうした防御的集落の同時的発生現象には、共通の背景があるのではないか。 本研究は、集落論や土器論、交易論等を踏まえながら、これまでの個別の議論を北東アジア全体の議論に昇華させることによって、新しい北方地域史を構築して、北方世界が日本の古代から中世への変革に与えた大きな影響を、歴史的に詳細に描き出そうとするものである。
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研究実績の概要 |
本研究の目的は、古代末期~中世成立期における日本北方の境界領域が、かつて日本列島各地に存在した多様な文化相とその相互関係を検討しうる重要な舞台であることを、北日本からサハリン、千島、大陸沿海地方に至る広大な北方世界を、総体として比較検討して明らかにすることである。その指標としては、集落を壕などで囲郭する防御的集落が共通して展開していることに主眼を置いている。 今年度はこれまで存在は知られているものの、精密な調査が及んでいなかった岩手県内や秋田県内の様々な山間集落について、ロシアの大陸沿海地方やサハリンの要害内集落との比較という観点から、前年に引き続き、その実像を詳細に描き出すことに重点を置いた。岩手県については、千ケ窪Ⅰ・Ⅱ遺跡を対象として、高地性集落として初の「遺構くん」システムを利用しての精密なデジタル測量を前年度に実施していたが、そこで得られた数値をもとに図像化し、専門雑誌に公表すると共に、比較のための重要な素材として、これを科研費チーム内で共有することができた。 秋田県については能代市のチャクシ館跡・加代神館跡、大館遺跡を対象として、詳細な現地踏査を実施した。なお鴨巣ⅠⅡ遺跡については現地入りが不可能な状態であったので、報告書による確認のみ行った。結果として、とくにチャクシ館跡について、これまで知られていた以上の複雑な構成を持った、強度の防御的性格を有する山間集落であることを確認できた。現在その調査結果を論文化して専門雑誌に投稿済みである。公刊後に改めて科研費チーム内で情報共有し検討していきたい。 またサハリンや大陸沿海地方の要害内集落については、旧北海道開拓記念館(現北海道博物館)がかつて行った現地調査の記録を再整理して、当時撮影されたフィルムのデジタル化を行った。現在その分析に入っているところであるが、これによって岩手や秋田の高地性集落との比較が可能になってきている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
北日本の高地性集落との比較の対象として重要なサハリン所在の要害内集落について、ロシア極東~サハリン地方のコロナ感染状況の改善があまりみられず、加えてウクライナ戦争の勃発により、日本人の現地入りが困難になっている。現地からの調査許可が取り消された状況で、現地調査がまだ実現していない。しかしながらロシア沿海地方については初年度に現地入りできていて、一定の基礎的データを得ており、まだ現地入りしていない同地方のその他の遺跡については、旧北海道開拓記念館(現北海道博物館)のかつてのデータを活用できる状態になってきている。また残るサハリン地方の要害内集落遺跡についても、同じく旧北海道開拓記念館による調査写真のデジタル化を実施していて、今後、そこからかなりの情報を得られるものと思われる。こうした作業によって遅れを回復し、最終年度の総括に持ち込みたい。
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今後の研究の推進方策 |
現状では当面、サハリン地方や大陸沿海地方の遺跡を調査することは無理な状況が続くものと思われる。そこでそれらの地域の遺跡については、過去の調査成果をあらためて精査し、当科研チームが目指している日本の同時代の高地性集落との比較という観点から、多くの新しい情報を導き出せるよう努力していくことにしている。幸いなことに当科研チーム内にはかつて現地を実際に踏査した旧北海道開拓記念館(現北海道博物館)の学芸員が所属しており、過去の収集資料の再整理について全面的に協力していただいている。 また秋田県や岩手県内には、これまで全く知られていなかった、強固な防御的性格を有する高地性集落の存在が明らかになってきている。しかもそうした遺跡は秋田県田沢湖周辺にも複数存在することが確実であり、また岩手県内でも繰り返し行われてきた現地の研究分担者の悉皆調査により、複数の新遺跡の存在が明らかになっている。 これらの遺跡について、科研費チームによる踏査の繰り返しによる情報収集によって、全く新しい日本国内の状況が明らかになりつつあり、それをロシア沿海地方やサハリン地方の要害内集落のデータを突き合わせることによって、所期の目的は達成できるものと思われる。
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