研究課題/領域番号 |
19H01344
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研究種目 |
基盤研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03050:考古学関連
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研究機関 | 東海大学 |
研究代表者 |
木村 淳 東海大学, 海洋学部, 准教授 (80758003)
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研究分担者 |
菊池 誠一 沖縄県立芸術大学, 付置研究所, 研究員 (40327953)
高妻 洋成 独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所, その他部局等, 副所長 (80234699)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2021年度)
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配分額 *注記 |
13,910千円 (直接経費: 10,700千円、間接経費: 3,210千円)
2021年度: 4,550千円 (直接経費: 3,500千円、間接経費: 1,050千円)
2020年度: 4,680千円 (直接経費: 3,600千円、間接経費: 1,080千円)
2019年度: 4,680千円 (直接経費: 3,600千円、間接経費: 1,080千円)
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キーワード | 東南アジア考古学 / ベトナム / 港市 / 沈没船遺跡 / 海上シルクロード / チャンパー / 崑崙船 / ビンチャウ / フォトグラメトリ / 写真測量 / 海のシルクロード / 東南アジア海域史 / 海事考古学 / 港市遺跡 / 文化財科学 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、時代の異なる数十隻の船体が海底に埋没する中部ベトナム・クアンガイ省ビンソン県湾での調査を通じて、同湾港市の歴史的活動を明らかにする。同湾で沈没した船は、最古級で8-9世紀代交易船、中国海商の17~18世紀代南シナ海商船と想定される。これら複数の船体考古資料の詳細研究、船材の保存処理と船体原位置保存を実施する。港市沖の沿岸の浅海で、時代幅のある多数の商船の残骸が埋没する事例は世界的にも稀な事例である。海事考古学と文化財科学、両分野蓄積を生かした学際連携により、東南アジア海域史における港市と交易船遺跡の具体像の解明につながる研究を目指す。
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研究実績の概要 |
ベトナム・クアンガイ省ビンソン湾一帯は、チャンパー王国の主要な港市であった可能性が指摘できる。これは湾沖合の浅海海底に埋没する船体考古資料の時代が多岐にわたることから、そのように推測されている。しかしながらこれまでの船体考古資料の解明は限定的であった。ベトナム国内研究はこれまで沈没船遺跡に対しては、遺物売買も含めた商業サルベージのアプローチをとり、中南部海域では、1990年サルベージのヴンタウ(17世紀末頃)沈没船、1991年サルベージのフークォック(15世紀)沈没船、1997-99年サルベージのホイアン(15世紀末頃)沈没船、1998-99年サルベージのカマウ沈没船(18世紀末頃)、2001-02年サルべージのビントゥアン(16-17世紀頃)沈没船などの引き揚げ事業を実施してきた。これに対して本研究では、ベトナム考古学院の新設の水中考古学部門と協力し、沈没船を考古遺跡として調査するアプローチを実施することができた。 ビンソン湾には、海洋港市国家チャンパー王国時代のシタダルの城壁が残っている。シタダルの築城-使用期と沈没船遺跡の関連性について本研究は主眼を置いた。チャンパー王国の交易港研究は、陸上遺跡を中心に行われてきたが、本研究はチャム人が運用する交易船自体に着目し、これを復元することを目指した。結果、同湾引き揚げの8~9世紀頃の東南アジア系交易船は、マレーオーストロネシア系の崑崙船で、その船形復元を行うことができた。この時代以降もビンソン県一帯が港市として発展したと仮定、この検証を同湾発見ビンチャウ2号船関連遺物で証明した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
唐代の漢籍にある崑崙人は、マレー・オーストロネシア系とされ、クアンガイ省ビンソン県には、マレー系のチャム人が建造したチャウシャ城址の土塁が確認できる。チャム人によるベトナム中南部沿岸の港市連合体は、海上交易やベトナム沖の航路支配に影響力がもっていたとされるが、所有していた船舶については、その実態は不明であった。東南アジア在来の造船技術=崑崙船の技術であることを検証し、東南アジアのマレー・オーストロネシア系の人々が発展させた木造船の建造法を定義することが、研究の一つの目的であった。既存の研究では、チャウタン船で確認される特徴の指摘が行われ、チャム人が使用していた崑崙系の船の構造について断片的ながらも理解が進んだ。本研究では、さらにこの研究を押し進め、崑崙系の船の全体像、船の船形が復元できるかが大きな課題であった。崑崙系の船の復元のため、写真測量による船材の立体モデルを作成し、それを東南アジアの一部地域で特定されている崑崙系の技術で建造された船体考古資料と比較することをおこなった。これにより、チャウタン沈没船の船材は、解体された状態であるものの、これまで確認された崑崙系の船体としては最大級の船で、港市国家に出入港した交易船として結論づけることができた。
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今後の研究の推進方策 |
崑崙系の船体の構造上の耐航性能と積載能力が高さに加え、操船していた東南アジアの航海民が遠隔地への物資輸送に従事した船と考えられる。チャウタン沈没船からサルベージされたとされる海上輸送品の陶磁器には異なる言語の文字が確認されており、異なる地域出身の商人、あるいはマルチリンガルの商人らが船に乗り込んでいたことが判明している。操船者は、交易品の売買において重要な役割を果たし、乗船した中国・ムスリム・ユダヤ系の海商らに海上交易活動を支えていた。マレー系のチャム人のチャウシャには、こうした海商らに港市として認識されていた。崑崙系の造船技術で建造された沈没船の発見は、ベトナム国内では、本研究対象が初出となるが、今後の研究では、東南アジア在来の造船技術で建造された交易船の活動実態の解明をより、東南アジア地域内全体に拡充する必要がある。崑崙系の船の船主は、商品の買付けではなく、輸送を請負い形態で、東南アジア島嶼・半島海域内を航海していた可能性が考えられる。
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