研究課題/領域番号 |
19K00142
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01050:美学および芸術論関連
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研究機関 | 中部大学 |
研究代表者 |
大地 宏子 中部大学, 現代教育学部, 准教授 (80413160)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
1,820千円 (直接経費: 1,400千円、間接経費: 420千円)
2021年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2020年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2019年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | 弘田龍太郎 / ルンビニー合唱団 / パドマ合唱団 / 仏教音楽協会 / 日本仏教童謡協会 / 邦楽調査掛 / 日本伝統音楽 / 五線譜化 / 浄書 / 仏教音楽 / 新中間層 / 大正教養主義 / 家庭音樂 / 成城小学校 / 新教育 / 工場音楽 / 富岡製糸場 / 新民謡 / 小林愛雄 / 北原白秋 / 童謡 / 大正自由教育運動 / 新日本音楽運動 / NHKラジオ |
研究開始時の研究の概要 |
「靴が鳴る」「雀の学校」等の大正童謡を代表する作曲家の一人 弘田龍太郎は、新教育運動や新日本音楽といった、大正から昭和の様々な文化潮流の交差点に位置する人物であった。また彼はラジオの子供番組で音楽理論の啓蒙につとめ、戦後は大正新教育の中心であった成城に幼稚園を自ら開くなど、その活動は大正期に生まれた教養主義的音楽理想が戦後民主主義の時代に継がれていったプロセスを示唆している。 本研究は、弘田龍太郎の ①作品目録や伝記事実等の基礎データ整備を図り、②彼の音楽様式を分析し、③大正から戦後まで日本の中流階級の意識を規定することになる「よき家庭のよき音楽」の理念との関係を問うことを目的としている。
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研究実績の概要 |
2022年度におこなった調査は次の二点である。第一に、弘田龍太郎の仏教音楽作品に焦点を当て、未出版の自筆譜も含め相当数の作品を整理するとともに、これらの作品がどのような特徴をもち、彼の作品群においてどのように位置づけられるのか明らかにした。弘田が仏教作品を集中的に作曲していた大正末から昭和10年代頃、「仏教音楽協会」と「日本仏教童謡協会」が相次いで創設され、新しい仏教音楽の創出をめざした仏教界は洋楽受容の興隆期にあった。弘田は両協会に関わりながら、ルンビニー合唱団とパドマ合唱団の指揮にあたり、自身の新仏教音楽作品を次々に発表した。すなわち弘田の創作人生の中での仏教音楽作品は、およそ次のように位置づけられる。幼児や子どもを対象にした単旋律による童謡から出発した彼は、やがてルンビニー合唱団を想定した、青少年を対象とする二部~四部による多声部の合唱作品を書くようになり、そしてドイツ留学を経て、パドマ合唱団におけるヨナ抜き音階から脱却した壮大なオペラ作品「仏陀三部曲」の構想へと至るのである。弘田の最も充実した創作期に書かれた仏教音楽作品は、弘田の創作の全貌を明らかにするうえで非常に重要であり、今後のさらなる研究が必要であろう。 第二に、弘田の出身校三重県立第一中学校(現三重県立津高等学校)在学中の『校友會雑誌』より、弘田の高校時における音楽活動を辿った。在籍当時より独唱、合奏、作曲などの活発な音楽活動に加え、当雑誌にいくつかの論稿も寄稿していた。その一つ、「邦楽論」ではとりわけ三味線の奏法を詳述しつつその楽器の利点を力説していることから、後に東京音楽学校邦楽調査掛の調査員として従事していた弘田は、すでに邦楽についての高い専門知識を有していたことがわかった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度の研究課題であった仏教音楽についてはおおむね研究は遂行できたが、舞踊家らとの交流についての調査は再度次年度の積み残し課題となった。
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今後の研究の推進方策 |
昨年度の研究計画で積み残した課題として、花柳寿輔や石井漠ら交流のあった舞踊家との関わりとその作品群を整理する。また、ベルリン留学期における作曲とピアノ奏法の研究の詳細を明らかにし、留学後の音楽様式の変遷を辿る。ベルリン留学後はパドマ合唱団におけるオペラ創作を頂点に、以後はラジオ放送への出演を通して子どもに向けた音楽教育に軸足を移していくため、NHK放送博物館所蔵の戦前の番組表に基づき弘田が出演したラジオ放送および内容の再整理もおこなう。 研究最終年度となる今年度は、これまでの調査によって明らかにした邦楽取調掛に従事する傍ら新日本音楽運動にも関わっていた第一期、北原白秋との交流から童謡の作曲を開始し、新教育運動にも参加するようになった第二期、ベルリン留学以後のラジオ放送などにおける啓蒙活動が増える第三期、戦後の第四期における音楽様式を、弘田の思想的背景となった社会的文化的文脈と接合することで、本研究の完結をめざす。
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