研究課題/領域番号 |
19K00156
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01050:美学および芸術論関連
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研究機関 | 國學院大學 (2023) 岡山大学 (2019-2022) |
研究代表者 |
岡本 源太 國學院大學, 文学部, 准教授 (50647477)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,550千円 (直接経費: 3,500千円、間接経費: 1,050千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2019年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | アビ・ヴァールブルク / ジョルダーノ・ブルーノ / 社会的記憶 / 想像力論 / イメージ論 / 社会的紐帯 / 宗教論 / 呪術論 / 情念定型 / 感情論 / 神的狂気 / 占星術図像 / 宇宙論 / 想像力 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究では、美術史家アビ・ヴァールブルク(Aby Warburg, 1866-1929)による「社会的記憶」としてのイメージの理論を、彼が最晩年に手がけた哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548-1600)の研究の再構成を通して、ルネサンス以来の想像力論の系譜において解明することを目指す。『ムネモシュネ・アトラス』にいたるヴァールブルクの試みが美術史学のみならず文理横断的な文化科学のモデルとして注目されている現在において、その理論的基礎にある「社会的記憶」の考えを明確化することが、本研究の目論見である。
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研究実績の概要 |
本年度は当研究計画の五年目にあたり、計画にもとづいて、ジョルダーノ・ブルーノからアビ・ヴァールブルクへの想像力論の系譜を辿り直しながら、ヴァールブルクの「社会的記憶」概念の意義と射程を考察した。ヴァールブルクが芸術実践のなかに見ようとした思考空間の形成と解体はブルーノを介してルネサンス人文主義の自由検討の理念と実践にまで通じており、想像力論をそうした社会的な言論と表現の自由の問題に結びつけて理解する必要性がしだいに明らかになってきた。ブルーノ哲学が西洋の想像力論の系譜においていかに革新的であったのかについては、ヴァールブルク研究所とも縁のある美術史家ロベール・クラインが先駆的な研究をおこなっており(『かたちと可知的なもの』1970)、近年に編纂出版の相次いでいるそのクラインの遺稿(『テクネーの美学』2017、『責任についての試論』2022)もあわせて読解した。また、ブルーノの想像力論の影響はヴァールブルク晩年に登場したシュルレアリスム運動にも見られるため、ルネサンスから現代にいたる想像力とイメージの理論の系譜の考察を、論文「パオロ・ウッチェッロを見るアンドレ・ブルトン ルネサンスに照らされたシュルレアリスム絵画」(『國學院雑誌』第124巻第8号、2023年、1-21頁)においておこなった。新型コロナ・ウイルス感染症流行の混乱のためにこれまで果たせていなかった海外調査については、本年度にようやく実施することができ、多数の資料と先行研究文献を収集した。その内容を検討して研究成果にまとめるには、もう少し時間が必要であると思われる。数年来継続しているブルーノ『紐帯一般について』の翻訳に関しては、本年度も継続しておこなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
新型コロナ・ウイルス感染症流行の混乱で延期続きであった海外調査をようやく実施できたものの、収集した多数の資料と先行研究文献を検討するのに時間を要している。
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今後の研究の推進方策 |
ヴァールブルク晩年のブルーノ研究に関する考察はこの数年であらたに数篇が公刊され、ペルセウス、アクタイオン、モーモスといった神話形象の含意について興味深い指摘がなされるにいたったものの、いずれもヴァールブルクがなぜ「美学」にこだわったのかを十分に解明するにはいたっていない。ヴァールブルクが最終的にブルーノに見ようとした思考の近代化は、科学的な合理化とは言えず、倫理的な世俗化に尽きるものでもなく、それをヴァールブルクは「美学」の語で表している。次年度の研究では、とくにこの点を集中的に考察したいと考えている。それに関連して、ヴァールブルクのイメージ論が科学や倫理のみならずあらためて美学の問題圏に関わっていったきっかけは、ブルーノによる寓意の批判と使用にあると思われるため、ブルーノの『傲れる野獣の追放』と『英雄的狂気』の読解にもあらためて注力する考えである。
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