研究課題/領域番号 |
19K00176
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01060:美術史関連
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研究機関 | 実践女子大学 |
研究代表者 |
仲町 啓子 実践女子大学, 研究推進機構, 研究員 (80141125)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,420千円 (直接経費: 3,400千円、間接経費: 1,020千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2019年度: 2,340千円 (直接経費: 1,800千円、間接経費: 540千円)
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キーワード | 絵師の存在形態 / 落款 / 款記 / 印章 / 日本美術史 / 絵師 |
研究開始時の研究の概要 |
近代以前の絵師が用いた款記と印章は、その有無自体も重大な問題にはなるが、存在している場合でも、形式が実にさまざまであり、内容面においても制作者の価値観に関わるような大きな違いが見られる。その多様さは、款記と印章が単に制作者であることの表明に止まらず、それ自体も独自な意味を伝えようとしていることを示唆している。 そうした問題意識にたって、鎌倉時代中期頃から江戸時代末までのさまざまな立場の絵師たちの款記と印章に関する資料を網羅的に収集し、款記と印章の内容と形式(無い場合も含めて)が、絵師の存在形態といかなる関わり方をしていたか、絵師の社会的なあり方を示す機能とは何か、について明らかにしてゆく。
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研究実績の概要 |
俵屋宗達・尾形光琳・酒井抱一は造形様式の近似にも関わらず、3人3様の款記と印章を用いていた。その違いは、絵師としての活動状況、制作行為の目的、身を置く文化圏の質、あるいは絵師個人の教養の深浅や価値観などによって規定されていた。ここでは款記と印章から窺うことのできる絵師の様態について、宗達と光琳についての概要を述べる。 宗達は初め「伊年」朱文円印を単独に用いていた。この印章は作品の性格、押印の位置、弟子との共有、後継者の宗雪・相説による同印の継承などの諸点から推測して、俵屋の工房印であったと思われる。ほぼ中央に楷書体で「伊年」と記す直径が5.1cmの円印は、宗達自身も用いたことは間違いないが、その場合も個人作家の意識は希薄で、俵屋という絵師集団の印であった。草書体で「対青」と刻まれる直径6.4cmの朱文円印は「法橋宗達」の款記を伴い、法橋叙任後の絵師・宗達が自らの作であることを表明するために用いた印章であった。現存する宗達筆の屏風のほとんどに同印が捺されている。それに引き続いて使用した直径7.7cmの「対青軒」朱文円印は、最晩年の宗達が用いた印章である。宗達没後、「伊年」印集団とも宗雪や相説とも画風が異なる一部の弟子たちが、俵屋を離れて、この印章を「宗達法橋」の款記とともに用いた。 光琳が初期に用いた「伊亮」朱文円印は、「伊年」を意識した印章である。ただ「伊亮」は彼の名(惟亮と音通)であり、改名後の名である「方祝」の印章もある。彼は宗達とは違って作家としての自我意識を有していたことは確かである。また衒学的な号の「積翠」・「澗聲」・「道崇」等の印章を使用した背景に、知識人の受容者を意識した形跡が見てとれる。印文の性格は宗達とは異質ながら、「伊亮」「方祝」「澗聲」の朱文円印が宗達の3印の外形的な特色を踏襲している点からは、宗達画の継承者であることを標榜する光琳の意志が見える。
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