研究課題/領域番号 |
19K00192
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01060:美術史関連
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
守屋 正彦 筑波大学, 芸術系, 名誉教授 (90272187)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,990千円 (直接経費: 2,300千円、間接経費: 690千円)
2023年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2022年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2019年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
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キーワード | 修禅寺 / 東光寺 / 法華寺 / 北条時頼 / 武田信光 / 武田政綱 / 諏訪盛重 / 甲斐配流 / 初期禅宗 / 蘭渓道隆 / 純粋禅 / 建長寺派 / 妙心寺派 / 曹洞宗 / 地方伝播 / 配流 / 作庭 / 竜門瀑 / 夢窓国師 / 伊豆守 / 甲斐守護家 / 禅宗庭園 / 甲斐源氏 / 夢窓疎石 / 平塩寺 / 園城寺派 / 鎌倉新仏教 / 建仁寺 / 建長寺 / 夢窓派 |
研究開始時の研究の概要 |
禅宗は武家によって信仰が進み、鎌倉を拠点に本格的な純粋禅の寺院が誕生した。その端緒は執権北条時頼の帰依を得て、来朝した蘭渓道隆が建長寺を開山したことにはじまる。大陸では宋が元に征服され、わが国でもこの危機を迎える時代感情の中で、蘭渓道隆は間諜の容疑をかけられ、鎌倉から甲斐へと配流された。道隆が開山したと伝える寺院は甲斐信濃が全国の半数におよぶ。これまで、この地域の文化財について十分な調査が行われておらず、本研究では禅宗の地方伝播の在り方について、甲斐・信濃両国に伝存する文化財等造形資料に基づいて考察し、新知見を拓く学術的な検討を試みる。
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研究実績の概要 |
本年度は蘭渓道隆が中興開山となった修禅寺の宝物調査を行い、蘭渓道隆を建長寺開山に迎えた北條時頼資料を願成就院、並びに当時の伊豆守武田信光の寺院を訪ね、修禅寺ならびに願成就院に関する保護者北条氏、伊豆守であった武田信光について調査を行った。この調査を経て、蘭渓道隆の甲斐国への配流について、甲斐守護武田家が信光、信政、信時の歴代が伊豆守を歴任していることに着目し、蘭渓道隆の修禅寺止住を受け入れた背景、パトロンとして機能していたのではないかと想定した。道隆は北条時頼によって建長寺住持となるが、その後、讒言によって甲斐、信濃へと配流となった。伊豆守である甲斐武田氏、また南信地方の諏訪氏は北条時頼の御内人であることから、彼らが道隆の活動を保護し、およそ十年に及ぶ布教が可能となり、甲斐信濃両地方において最も多くの寺院が道隆を開山として誕生したものと考える。甲斐信濃への配流にあたって、諏訪盛重は蓮仏入道として道隆に深く帰依したことが明らかで、道隆を住持とした法華寺はその昔は国分に寺で天台宗であり、諏訪大社に隣接して、大祝(神職)の信仰する寺として位置づけられている。また武田氏では守護信時の実弟政綱が時頼の臨終に際して看病した得宗被官7人の一人であったことから、古くは武田氏の祖新羅三郎義光の祈願所であった東光寺に蘭渓道隆を迎えて、布教を助けたと解釈した。昨年度に調査を行った甲府東光寺、長野県南信地方での蘭渓道隆の布教についての調査を踏まえ、拙稿「蘭渓道隆の甲斐配流と東光寺-甲斐源氏並びに武田氏の動向を解釈して」『甲斐の中世史』萩原三雄氏追悼論集刊行会 高志書院 2024年2月19日を上梓した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
今年度もまた、蘭渓道隆にかかわる寺院調査は十分に行われたものではなかった。コロナによる令和3、4年度にわたって調査した成果をまとめ、令和5年度には文献資料調査を積極的に行ったが、蘭渓道隆の足跡を追う臨地調査は当初の計画を遂行するに至らなかった。ただ、研究代表者が山梨県立博物館に所属していることから、山梨県内の調査はおおむね順調に進んでおり、現在は当該研究のテーマである「禅宗の地方伝播にみられる造形について」の背景として、蘭渓道隆の布教を助けるパトロンの研究は成果を上げた。 文献資料調査では山梨県立博物館、筑波大学、国立国会図書館、金沢文庫等に出向き、これまでの研究を補完してきたが、表象資料である蘭渓道隆の書や絵画、造像については臨地調査を十分に行うことができず、記録化・論文成果の発表に至っていない。
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今後の研究の推進方策 |
今後の課題として、最終年度には甲斐、信濃だけでなく、彼の足跡をたどって造形資料の解釈を進め、研究成果の公開としての資料調査報告書をまとめる。
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