研究課題/領域番号 |
19K00628
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02070:日本語学関連
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研究機関 | 熊本大学 |
研究代表者 |
堀畑 正臣 熊本大学, 大学院人文社会科学研究部(文), 名誉教授 (30199559)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2019年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 16世紀の古記録・古文書 / 戦国遺文の『後北条氏編』 / 横合(之儀) / 立柄 / 生涯 / 生害 / 手苦労 / 古文書の「掟書・定書」 / 『大友史料』に見える記録語 / 『相良家文書』 / 『伊達家文書』 / 室町後期~江戸初期の記録語 / 古記録・抄物・キリシタン資料の記録語の差異 / 『上井覚兼日記』/『梅津政景日記』/『言経卿記』 / 『碧山日録』と「五山文学用語」 / 「生涯」から「生害」へ / 『梅津政景日記』 / 『上井覚兼日記』 / 「被賜・被給」 / 「被為(〔さ〕せらる)」 / 「仕合」(亡くなる)の意 / 「塩味を以(って)」 / 梅津政景日記 / 江戸初期地方古記録 / 古記録の文体 / 記録語法 / 記録語 / 文章・文体 / 地方成立の古記録・古文書 / 室町後期・江戸初期 / 記録語・記録語法 |
研究開始時の研究の概要 |
地方成立古記録としては、江戸初期の出羽秋田藩の奉行職・家老職を歴任した『梅津政景日記』(記録1612~1633年)を調査し、室町後期の島津家武将の『上井覚兼日記』(記録1574~1586年)と比較して、東北秋田と九州鹿児島の武士階級の古記録の共通点や差異を記述する。 地方成立古文書としては、16~17世紀の室町後期・江戸初期の九州地方の『島津家文書』『阿蘇文書』『相良家文書』『大友史料』、中国地方『毛利家文書』、東北『伊達家文書』、越後『越佐史料』、越後・米沢『上杉家文書』、戦国遺文から関東『後北条氏編』、甲斐信濃『武田氏編』、東海『今川氏編』等の記録語・記録語法を記述し、比較検討する。
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研究実績の概要 |
令和4年度は、16世紀の古記録・古文書の調査として、戦国遺文『後北条氏編』を調査し、他の地域の古文書類と比較を行った。その中で「横合(之儀)」(手順・道筋を無視して無理を押し通そうとする)は東国の古文書に用例が見え、西日本や九州の古文書には用例が見えず、東日本の古文書用語であること。「立柄」(主に戦の状況、様子)は、九州や中国地方の古文書に見られる語であることが判明した。また、『日本国語大辞典』『時代別国語大辞典 室町時代編』『日葡辞書』や古文書用語辞典類にも掲載のない「手苦労」という語も見つかった。そのほか、意味・用法・分布について、他地域の古文書との比較を行なうサンプルとして「涯分」「左道之至」「時宜」「入眼」「生涯」「勝事」「調儀」「調法」「取懸」「働・動」「走廻」「見合」等の古文書用語を洗い出した。 次に、西日本国語国文学会(R4年9月10日)のシンポジウム(テーマ「武士の時代と国語・国文学」)のパネリストとして、「武士の時代と古文書・古記録の言葉」と題して報告を行った。そこで①『平家物語』諸本における武士の会話として「宇治川の先陣争い」の梶原景季と佐々木高綱の会話を示し、諸本により違いがあり、かつ、武士言葉としての特徴は少ないこと、②『覚一本平家物語』における改まった場面での会話の特徴を述べ、③室町中期~江戸初期の記録語と抄物や狂言、天草版キリシタン資料の言葉の比較を行い、④古記録や古文書の掟書・定書に見える武士の言葉を論じた。④で「生涯」「生害」「見相ニ」(見つけ次第)「廉かましき」(粗暴で、やたら難癖をつけ非難する)「立柄」「横合」「涯分」を説明した。武士の時代の生きた言葉として古文書の「掟書・定書」の重要性を述べた。 更に、古記録・古文書から「生涯」と「生害」の用例を集め「「生害」表記の出現とその意味ー「生涯」から「生害」へー」を投稿し採用された(印刷中)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
令和1年度から令和4年度での研究計画であったが、うち3年間はコロナ禍の状況で、授業関係の遠隔授業対応によるパワーポイントの授業作りで時間を取られ、調査そのものの進展もままならなかった。令和4年度も12月まではコロナ禍の状況で、文献調査も移動の自粛で、漸く令和4年12月に1度出張し、用例の影印での確認や文献調査を行うことができた状態であった。また、令和4年の1月に、母親の体調が悪化し入院した。その後、令和5年2月中旬に亡くなった。それらの手続きや看病や葬儀等に時間を費やした。そのような中で、これまでの遅れた分の調査を補いつつ、調査を進めたが、計画通りとはいかなかった。
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今後の研究の推進方策 |
1年間の研究延長を申請して認められたので、今後調査を進めると共に、ほかの地域の古文書との比較検討を行い、それぞれの特徴を洗い出す所存である。
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