研究課題/領域番号 |
19K01007
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03020:日本史関連
|
研究機関 | 京都先端科学大学 |
研究代表者 |
平 雅行 京都先端科学大学, 人文学部, 特任教授 (10171399)
|
研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2022-03-31
|
研究課題ステータス |
完了 (2021年度)
|
配分額 *注記 |
2,340千円 (直接経費: 1,800千円、間接経費: 540千円)
2021年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2020年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2019年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
|
キーワード | 鎌倉幕府 / 鶴岡八幡宮 / 北条時頼 / 九条頼経 / 定豪 / 定親 / 定清 / 頼助 / 鎌倉真言派 / 随心院 / 厳海 / 厳恵 / 守海 / 佐々目遺身院 / 三宝院流 / 明王院 / 定憲 / 大門寺 / 実賢 / 平泉惣別当 / 慈円 / 摂家将軍 / 良信 / 永福寺 / 護持僧 / 東寺長者 |
研究開始時の研究の概要 |
『吾妻鏡』は鎌倉時代の4割以上の時期の記事が欠落しており、鎌倉幕府の宗教政策の実態、およびその歴史的変遷を検討するには大きな制約がある。そこで私は、鎌倉で活動した顕密僧の事蹟を一人ひとり復元することで、その制約を突破しようと考えた。本研究では鎌倉中後期の真言系幕府僧約70名の事蹟を復元し、その作業を通じて以下の諸点を明らかにしたい。 ①幕府の主従制編成が武士だけでなく、僧侶の世界にも及んでいたこと、②鎌倉時代の顕密体制が東国をも包含しており、京都と鎌倉の仏教界が相互に影響しあっていたこと、③鎌倉幕府・朝廷の宗教政策の実態とその相互関係、およびその歴史的変遷を、高度な実証水準で解明したい。
|
研究成果の概要 |
鎌倉真言派の展開を検討し、以下の事実を明らかにした。(1)鎌倉で初めての密教僧である定豪は、勝長寿院や鶴岡八幡宮の別当となり、この一門が鎌倉真言派の主流となった。ただし定豪が奥州の平泉惣別当に就任した事実はない。 (2)定豪の弟子のうち定親は、将軍権力と北条得宗との権力闘争に巻き込まれて1248年に追放された。その後、鎌倉真言派は低迷の時代に入るが、定清と定憲がきびしい時期を支えた。 (3)鎌倉随心院流の厳恵は将軍宗尊の護持僧となったが、1266年に宗尊とともに失脚した。鎌倉三宝院流の守海は、執権北条経時の子である頼助を育てた。やがて頼助を中心に鎌倉真言派は爆発的に発展し、京都にも進出した。
|
研究成果の学術的意義や社会的意義 |
鎌倉真言派の検討によって、以下の事実を明らかにした。(1)鎌倉幕府と禅宗とのつながりが過剰に強調されてきたが、それは北条時頼段階の一時的現象であり、幕府が保護した中心は顕密仏教である。 (2)『吾妻鏡』の記事が1266年で終わっていることが、鎌倉幕府の宗教政策研究の制約となっていた。本研究は鎌倉で活躍した僧正の数を指標とすることで、幕府の政策に2度の転換(寛元・宝治の政変とモンゴル襲来)があったことを解明した。鎌倉真言派の展開も、幕府の政策転換から大きな影響を受けている。(3)幕府と主従関係を結んだのは僧侶や貴族にも及んでおり、本研究によって鎌倉幕府を多面的に捉えることが可能となった。
|