東ドイツの社会主義体制が崩壊して以降30年間、この国の社会は体制によって一方的に抑圧されていたといわれてきた。だとすれば、抑圧されていながら、どうして、1989年に人びとは街頭に出て抗議の声をあげ、社会主義体制は崩壊したのだろうか。この疑問に答えるヒントは、東ドイツにおいて日常生活が持っていた政治の意味を検討することによって得られる。本研究は、この国において最も深刻な社会問題として受け止められていた住宅事情について、特に70年代以降のロストック市に着目して、日常生活での不満が体制の安定を侵食したことを明らかにする。そして、東ドイツ独自の「公共空間」の存在を問う。
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