研究課題/領域番号 |
19K01179
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分04020:人文地理学関連
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
河島 一仁 立命館大学, 文学部, 教授 (90169714)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
3,250千円 (直接経費: 2,500千円、間接経費: 750千円)
2022年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2021年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2020年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2019年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
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キーワード | 野外博物館 / 地理学の制度化 / Herbert John Fleure / アベリストウィス大学 / H.J.Fleure / I.C.Peate / E.G.Bowen / E.E.Evans / ハーバート・ジョン・フルール / 博物学 / 海洋動物学 / ガーンジー島 / ウェールズ |
研究開始時の研究の概要 |
野外博物館と地理学には、さほどの関連性は見いだせない。しかし、ウェールズと北アイルランドで野外博物館を創立したI.C.ピートとE.E.エヴァンスは、アベリストウィス大学で地理学を専攻した。彼らは地理学的な構想力を用いて、アーバンとルーラルに分化した景観を創出した。彼らが学んだ地理学は、制度化して間もない地誌学である。本研究では、地理学史のなかでも19世紀の後半から20世紀にかけて、イギリスで進められた地理学の制度化に視点をおき、ウェールズで野外博物館の創立者がどのように育成され、自覚的に研究を進めたかを、彼らの師であるH.J.フルールの世界観・歴史観・自然観を通して把握することを企図している。
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研究実績の概要 |
2023年度には、1917年から1946年までにおけるThe Geographical Association (以下、GA)へのフルールの貢献に関して把握した。GAは1893年にH.J.マッキンダーと10人の校長らが設立した学会で、小学校から大学までの地理教育を研究対象としている。フルールは、1917年にGAの事務局長と会誌編集を兼務し、アベリストウィス大学の地理学・人類学部にその本部を置いた。1930年にマンチェスター大学に転出後もGAのそれらを担当し、退職後の1946年に辞職している。GAには全国の初等・中等教育の多くの地理教員が参加していたので、フルールの名は全国的に知れ渡ったのであった。しかしフルールは地理学の枠に収まる人ではなかった。頭蓋骨の計測にもとづく自然人類学研究が評価され、1936年にRoyal Societyの会員に選ばれている。 フルールとF.ルプレ、P.ゲデス、A.J.ハーバートソンらとの関係を注視した。ハーバートソンはオックスフォード大学に来る以前に、ダンディー大学でゲデスの助手であった。アベリストウィス大学で地理学を講じることになったフルールは、ハーバートソンとの関係を緊密にし、1914年にゲデスがダブリンで行った調査に参加した。フルールはゲデスから強い影響を受けたと言われている。その点ではハーバートソンも同様であろう。ただ、ハーバートソンが自然地理学的に世界の地域区分をおこなったのに対して、フルールは地域研究のシステムのなかに人間を含めている。GAの事務局長であったハーバートソンは1915年に急死し、1917年にフルールがその職を引き継いだ。 海洋動物学がフルールの学術的出発点であり、アベリストウィス大学では動物学・地質学・植物学を担当し、地理学の研究を深める過程で、フランス社会学に始まる地域研究に学び、そしてフランス地理学派に接近した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
ウェールズと北アイルランドの野外博物館と、アベリストウィス大学での地理学の制度化との関係について研究を進めてきた。H.J.フルールとその3人の弟子、I.C.ピート、E.E.エヴァンス、E.G.ボーエンが具体的な対象である。研究代表者はフルールの故郷であるガーンジー島で生家を探し、戸籍を調べ、家族構成を把握した。同島で19世紀に盛行した博物学の研究を把握し、幼少期のフルールがそれから受けた影響をすでに論文として発表済みである。 アベリストウィス大学の地理学・人類学部を継承したのはボーエンである。彼はこの学部から人類学を除去し、地理学に純化させる方向で苦慮を重ねたので、フルールの学問的な継承者ではない。学界ではE.E.エヴァンスがフルールの継承者だとみなされている。ボーエン自身が、「フルールの伝統はマンチェスターでもアベリストウィスでもなく、クィーンズ・ユニバーシティ・ベルファストで維持されている」と述べている。そうすると、エヴァンスが創出した野外博物館(当初の名称はUlster Folk Museum)にもフルールの思想が反映していると解される。要するに、フルールのregional geography(地誌学)が野外博物館を裏打ちしているのである。 GAの記録にも、地理学の文献にもピートは登場しない。彼が筆頭の弟子ではあるが、地理学の世界には属していないことがその理由である。彼はカーディフ近郊で野外博物館(当初の名称はWelsh Folk Museum)を創設した。それにはフルールの影響はなかったのであろうか。ウェールズのナショナリズムを精神的支えとするピートは、フルールやエヴァンスとは世界観を異にしていた。フルールはフランスの文化が残るガーンジー島の出身である。エヴァンスもウェールズ人であるが、長老派の牧師であった父と母は本人の前ではウェールズ語を一切話さなかった。
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今後の研究の推進方策 |
これまでフルールの著作を読み進んできたが、2024年末までに読み終え、地理学と人類学にわたる彼の体系を具体的に示すことが大きな課題である。GAにおけるフルールの貢献に関しては、そのおおよそが明らかである【Balchin,1993】。しかし、30年間という長期間に、フルールが地理学と地理教育に関して何を発言してきたのか、その実態を把握できていない。GAの機関誌であるThe Geographical TeacherならびにGeographyに彼が何を記述しているかを確認しなければならない。1917年から1946年までの両誌を、シェフィールドにあるGAの本部で閲覧し、フルールに関する資料を検索する。 研究代表者は、アベリストウィスで彼が住んだ家を実見し、内部にも入っている。マンチェスターでの彼の自宅、ならびに退職後に住んだイングランド南部の自宅、そして彼の墓地を確認し、彼の人生を地図化する。 フルールがゲデスから受けた影響に関して具体的に明らかにすべきと考えている。そのためにはエディンバラにおけるゲデスの事績を把握する必要がある。地理学の制度化を考察するためには、アベリストウィス大学のアーカイブが所蔵するカレンダーとシラバス、ならびに試験問題などを分析しなければならない。残った課題は多いが、2024年度末に報告書を作成して本研究を締めくくる。
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