研究課題/領域番号 |
19K01788
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分07070:経済史関連
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研究機関 | 東洋大学 |
研究代表者 |
大豆生田 稔 東洋大学, 文学部, 教授 (20175251)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2023-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2019年度: 2,080千円 (直接経費: 1,600千円、間接経費: 480千円)
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キーワード | 小麦 / 小麦粉 / 食糧 / 輸入 / 商社 / 製粉業 / 1920年代~1930年代 / 戦争 / 食糧問題 / 貿易 / 戦間期 / 戦時期 |
研究開始時の研究の概要 |
戦前日本では、1900年頃から米消費の拡大を国内米作が充足できなくなり、1910年代末には米不足が深刻化した。このため、東南アジアや旧植民地から米輸移入が増加する一方で、小麦や小麦粉の輸入も急増した。国際商品である小麦は北米・豪州などの大産地が世界に複数存在し、1920年代には東アジアに大量に輸出されるようになり、新たな国際的な流れが形成された。 本研究は、1920年代末の日本の小麦輸入が、国内生産量に迫る規模に達していたことを踏まえ、中国など東アジア地域の動向にも留意しながら、戦間期の日本・東アジアにおける小麦・小麦粉流通の変容を解明するものである。
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研究成果の概要 |
日本の小麦消費は1920年代、米騒動後の深刻な米不足により急膨張した。日系商社を担い手として、北米・豪州小麦が大量に流入した。国内では製粉業が発達し、30年代にかけて日本粉は大陸(中国、「満州」)にも多量に輸出され需要は拡大した。一方、恐慌対策として小麦増産が成功し、日本は東アジアの小麦産出国となった。総じて、自給はなお達成されず輸入は必須であった。 戦時に小麦粉供給圏が大陸に拡がると小麦輸入は食糧需給の重要な一環となった。しかし太平洋戦争の開戦により輸入は停止し、食糧需給は新たな段階に入る。1920年代には需要拡大に応じた輸入増があったが、戦時にはそれが停止し必須の供給源が絶たれたのである。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
本研究は1920年代の小麦輸入の増加、および小麦需要の拡大と多様化について、生産・流通のほか消費をも視野に入れた近年の研究動向を踏まえ、輸入増加を食生活の変化を含めて検討した。 小麦輸入の増加が世界市場の変貌を背景に、日系商社により北米・豪州の過剰小麦が貿易取引され実現したことを示し、特に日系商社の一次資料を活用して国際商品小麦の貿易取引を具体的に解明した。 1920年代に本格化し、30年代半ばまで円滑に展開した小麦輸入は、30年代末に、戦時の統制、輸送の制約、戦争の長期化・拡大により停止するに至る。国際政治、とりわけ戦争が、円滑な食糧貿易を攪乱し途絶させる歴史的な過程を具体的に提示した。
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