研究課題/領域番号 |
19K02141
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分08010:社会学関連
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研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
井川 充雄 立教大学, 社会学部, 教授 (00283333)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2019年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | ラジオ / 植民地 / 台湾 / 玉音放送 / 思想戦 / 音文化 / 同化政策 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究の目的は、台湾放送協会と「東亜放送網」に注目しながら、昭和前期における日本の「外地」と「内地」を繋ぐラジオの持つ力を文化的な側面を、(1)ラジオによる同化政策の諸相、(2)台湾音楽やラジオ劇など、台湾における新たな音文化の構築、(3)「外地」から「内地」への中継放送が日本国内に与えた文化的影響、以上の3点からから解明することにある。研究にあたっては、第一次資料の収集を進めるとともに、当時の関係者からの聴きとりを精力的に進める。
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研究実績の概要 |
2023年度においては、植民下の台湾で放送業務に携わった人物のパーソナルヒストリーを明らかにすることに取り組んだ。これまでの研究においては、台湾総督府、台湾放送協会といった組織に焦点を当ててきたが、メディアの活動に直接関わった人々の実像を明らかにするためである。 台湾で英語によるニュース放送のアナウンサーを務めた人物に田路百合子がいる。彼女は、1920年2月6日に、海軍で軍艦の建造に従事していた父と、父が赴任先のイギリスで知り合ったイギリス人の母から生まれた。田路夫妻は東京でも英国式の生活を貫き、家庭内では英語が使われていたので百合子の母語は英語であった。そのため、日本の小学校での生活になじむのには苦労があったようだ。高校卒業後、英字紙 The Japan Advertiserの社交欄を担当するようになったが、母の勧めにしたがって,1937年6月,台湾に渡った。 1937年7月7日の盧溝橋事件発生後、台湾放送協会は日本語以外の言語によるニュース放送を開始し、百合子はそのアナウンサーに起用された。当時の新聞や雑誌に百合子の記事が掲載されているが、その中には百合子が日本語があまりできないことを揶揄するようなものもあり、台湾での生活は決して居心地の良いものではなかったようだ。 翌年3月、日本に帰国するが,上陸した神戸では特高警察の取り調べを受け,東京でもスパイ容疑でたびたび憲兵隊の捜索を受けた。米英と日本は開戦前ではあったが,国内にいる外国人やその家族は監視の対象となっていたのである。その後,百合子はフランス人と結婚して逃げ出すように日本を旅立った。戦時下は上海に留まり、大戦後はフランスで読売新聞や産経新聞の特派員として活躍する。このように、百合子は波乱に満ちた人生を送ったのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2020年度から2022年度において、新型コロナウイルスの感染拡大により、アメリカの公文書館、台湾の各図書館・史料館等での資料収集ができなかったが、これらについては、2023年度に再開することができた。国内における資料収集は順調に行っており、概ね順調に研究を行っている。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、これまでの成果を踏まえ、さらに日本統治下のラジオ文化の推移を明らかにし、その効果の解明を図る。戦時下の宣伝においても娯楽は大きな役割を果たしたものと思われる。そこで、野球などのスポーツ中継やラジオドラマ、音楽番組等の娯楽番組に焦点をあて、それらが果たした役割について考察を行う。これによって、ラジオによる文化的統合(同化政策)と新たな音文化の構築の過程を明らかにする。 本研究では、できる限り第一次資料にあたり、実証的に諸問題を解明することを主眼としており、これまでに収集した資料の分析・考察を行う。2024年度は、研究最終年として研究のまとめを行う。
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