研究課題/領域番号 |
19K02409
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分09010:教育学関連
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研究機関 | 立正大学 |
研究代表者 |
志村 聡子 立正大学, 社会福祉学部, 教授 (50406609)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2022年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2021年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2020年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2019年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
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キーワード | 三田谷啓 / 東京市養育院 / 東京市養育院巣鴨分院 / 母の会 / 三田谷治療教育院 / 入院児名簿 / 児童保護 / 大阪母の会 / 西脇りか / 母の会事業 / 地域史 |
研究開始時の研究の概要 |
三田谷啓(さんだやひらく、1881-1962)は、三田谷治療教育院(兵庫県芦屋市)を設立したことで知られる医師・教育家である。本研究では、1920年代から1940年代、主に関西圏において三田谷が指導した母の会事業の実態を明らかにする。「大阪母の会」「甲陽母の会」などと、各地でその地域の地名を冠して「○○母の会」として組織化されたことから、それぞれの母の会の活動を地域史の視点から明らかにする。 研究の対象となる組織は、大阪母の会、甲陽母の会、阪南母の会、神戸母の会、京都母の会、播磨母の会、高田母の会、堺母の会、呉母の会の9組織である。
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研究実績の概要 |
三田谷啓(さんだやひらく、1881-1962)は、三田谷治療教育院(兵庫県芦屋市)を設立したことで知られる医師・教育家である。令和5年度は、三田谷の「治療教育」の思想形成の過程に迫るべく、大阪市立児童相談所の開設(1919年)に取り組む前の時期に着目した。三田谷は1914(大正3)年にドイツ留学から帰国、翌1915(大正4)年、『学齢児童智力検査法』を刊行した。いわゆる智能検査の考え方を論じた書であり、その知見をふまえ、三田谷は東京の各所で指導を行なった。その1つが、1909(明治42)年6月に開設された東京市養育院巣鴨分院であった。同分院は、身寄りのない子どもが過ごす育児院であり、知的障害のある子どもや就学経験のない子どもが多数含まれていた。院内に附属小学校を備えていたが、一人ひとりの附属小学校への就学の可否と配属学年等を決める必要があり、その一環で子どもの特性を把握するために三田谷前掲書が検討されたとする。しかし、研究の結果、三田谷による具体的な指導内容は明らかにできなかった。 一方、同分院附属小学校における多様な教育的処遇の試みが明らかになった。1916(大正5)年7月、附属小学校内にすでに開設されていた知的障害児のための「尋常科単級」とは別に、「合級」が併設された。これは、知的障害の程度等により、知的障害児のための学級を2つに分けて展開しようとした先進的な試みであった。この点について、先行研究でも言及はされてきていたが、その詳細は論じられてきていなかったことから、新たな成果として論文投稿した。 三田谷は、三田谷治療教育院の院内に、附属小学校である翠ヶ丘小学校を設置した。巣鴨分院附属小学校に関する知見を生かし、翠ヶ丘小学校について取り組み、その実践について明らかにすることとともに、母の会がどのような役割を担ったのか迫ることにしたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
三田谷啓が大阪で活動する以前の時代において、児童保護事業がどのようになっているか、理解を深めるための作業になった。また、貴重な研究成果を出すことができた。しかしながら、本研究課題で新たな成果を出せたとは言えない。
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今後の研究の推進方策 |
東京市養育院巣鴨分院附属小学校についての研究成果をふまえ、三田谷治療教育院内の翠ヶ丘小学校について研究を行なう。施設内小学校のありようについての理解を活かして、翠ヶ丘小学校について調査するとともに、その支援を担っていた女性たちについても追うことにしたい。
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