研究課題/領域番号 |
19K12979
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分01050:美学および芸術論関連
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研究機関 | 東京藝術大学 |
研究代表者 |
神竹 喜重子 東京藝術大学, 大学院音楽研究科, 研究員 (70786087)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2021年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2020年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2019年度: 1,690千円 (直接経費: 1,300千円、間接経費: 390千円)
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キーワード | 地方 / ロシア帝国 / オペラ / 帝室劇場 / 私立歌劇場 / 演出 / キャリア / 歌手 / 地方歌劇場 / 普及 / 移動 / 循環 / 地方都市 / ムーソルグスキイ / モスクワ / ロシア / 古儀式派 |
研究開始時の研究の概要 |
19世紀末から20世紀初期のロシアでは、モダニズムの隆盛となる「銀の時代」を前に、ロシア音楽の西欧からの自立を追求する動きが活発化していた。その最中、農奴解放令により商人階級として台頭した古儀式派サッヴァ・マーモントフは、自らの私立歌劇場において、総合芸術としてのオペラを追求し、帝室劇場から拒まれていたリムスキー=コルサコフやムソルグスキーのオペラ作品を革新的な演出法により上演した。本研究では、同歌劇場のオペラ上演が台頭するうえで、特にオペラ関係者の往来や作品の伝搬において、地方都市の歌劇場との協力関係が重要な役割を果たしていた可能性に着目し、その実態を歴史的かつ定量的に明らかにする。
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研究実績の概要 |
ウクライナ侵攻の影響により、今年度もロシアへの渡航が叶わず、計画していた研究調査が十分に行えなかった。そのため、今までの出張で入手した資料を精読し、私立マーモントフ歌劇場により大きな影響を与えていた私立プリャニシュニコフ歌劇団の歌手たちのキャリアを中心にデータ整理を行なった。その結果、私立マーモントフ歌劇場の主要キャストとして活躍していた歌手たちの多くが、キーウを活動拠点とする私立プリャニシュニコフ歌劇団から移籍していたことがわかった。1897年のモスクワにおけるムソルグスキーのオペラ《ホヴァーンシチナ》の舞台初演に際し、私立マーモントフ歌劇場と私立セートフ歌劇団がオペラ関係者の往来の点で相互関係にあったことに鑑み、私立マーモントフ歌劇場は特にキーウからの影響が強かったことがわかった。 また、帝室劇場で1911年、1912年に《ホヴァーンシチナ》が取り上げられた経緯については、私立マーモントフ歌劇場から帝室劇場に移籍したフョードル・シャリアピンをはじめとするオペラ関係者と、1901年より帝室劇場の最高幹部に就いたウラジーミル・テリャコフスキーとのやりとりが背景にあったことがわかった。テリャコフスキーは、帝室劇場史上で改革者として知られており、例えば舞台美術家の場合、私立マーモントフ歌劇場からコンスタンチン・コローヴィンなどを採用している。このように、帝室劇場のオペラ上演において当時いかなる変革が起こりつつあったのかを、回想録や日記を参照しつつ整理している。 以上の内容を取りまとめ、論文の投稿を進めている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
コロナ禍やウクライナ侵攻の影響により、ロシアへの渡航ができず、計画していた研究調査が行えていないため。
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今後の研究の推進方策 |
地方の私立歌劇場(主にウクライナとグルジア)のオペラ上演レパートリーと私立マーモントフ歌劇場のそれについて、オペラ関係者の往来に注目しながら、いかなる連動性があるのかを分析する。
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