研究課題/領域番号 |
19K13071
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分02010:日本文学関連
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研究機関 | 聖学院大学 (2022-2023) 愛知淑徳大学 (2019-2021) |
研究代表者 |
杉淵 洋一 聖学院大学, 人文学部, 准教授 (00758138)
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研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2022年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2019年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | 西洋受容 / 日仏交流 / アナーキズム / キリスト教 / 種蒔く人 / 相互扶助 / 昆虫記 / フランス / 日仏関係 / 人文主義 / 日本知識人 / 翻訳 / 国際交流 / 文化的相対化 / ヨーロッパ滞在 / 有島武郎 / 椎名其二 / 藤田嗣治 / 在外邦人 / 新渡戸稲造 / 芹沢光治良 / 三岸節子 / 横光利一 / 知識人 / ヨーロッパ受容 / ユマニテ / 日仏交流史 |
研究開始時の研究の概要 |
西洋の「ユマニテ」に裏付けられた「相互扶助」思想は、多くの日本知識人達がそれぞれの解釈に基づいて受容し、日本社会に浸透させようとしてきた。このような国内における状況や試みをまとめた先行研究は、複数の領域において散見されるが、「相互扶助」、「ユマニテ」と言われる思想の現地における先導者達と渡欧した日本の知識人達との直接の交流と影響関係を系譜的にまとめた研究は皆無である。 クロポトキンと面会した有島武郎、ルクリュ家と交流があった石川三四郎、芹沢光治良等、20世紀前半の日本知識人のフランスを中心とした欧州滞在に伴う現地の人々との直接的な交流を、遺された書簡や聞き取り調査から系譜的に明らかにする。
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研究実績の概要 |
研究の目的にそった資料の調査、収集を進め、その結果について、学術論文として発表したり、学会等の場で報告することによって、学術の場における当該研究の認知度を上げたりするとともに、新聞や雑誌等に本研究に関連する記事を掲載することによって、学術関係者以外の人々に対しても、今年度における研究成果の一端を開示することができた。 小牧近江、金子洋文、今野賢三等による関東大震災にまつわる悲劇を語った「種蒔き雑記」の一部が、1924年8月にフランス語に翻訳されて、フランスの新聞『リュマニテ』紙に、当地の記者による解説付きで掲載されていたが、その記事について、邦語による再翻訳を行い、当時の翻訳の経緯や原文との差異などについての指摘等を含め、『初期社会主義研究』第31号に論文としてまとめた。 また、現地調査の名目で、2023年8月から9月にかけてフランス(パリ)にわたり、本研究に関連する人物達ゆかりの地まで足を運び、その地の現状を確認するとともに、彼等が生活していた際の様相を検討した。また、研究対象となっている人物を知る人々からの聞き取り調査も行い、これらの調査の結果の椎名其二についての部分は、秋田さきがけ新聞の朝刊に、「椎名其二・パリに生きて・「昆虫記」翻訳100年」というタイトルで4回にわたって文章を寄稿した。 また、日本人を庇護したフランス人のアナーキスト一家・ルクリュ家に関連する日本語、フランス語の書籍の文献調査を進め、1907年の有島武郎のロンドンにおけるクロポトキン等との交流、その交流から当地の人々に受け継がれていった石川三四郎、椎名其二、望月百合子、芹沢光治良といった日本人達とのやりとりのあとについて、具体的な日時や方法などを確認できたところもあり、そのことなどについて講演や発表として登壇し、参加者達を前に報告を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
もともとコロナの蔓延等があって、2019年、2020年、2021年は、フランスを中心としたヨーロッパにおける現地調査が行えなかったため、日本における文献調査や関係者への聞き取り調査が中心となった。そのため、フランスにおいて現在までの研究成果をまとまった形では発信できておらず、その点には挽回の必要性を感じている。 また、2020年6月には、本研究において重要な位置をなし、遺族として遺品の管理を担っていた作家・芹沢光治良の四女・岡玲子氏、2023年11月には、同じく翻訳家・小牧近江の孫の桐山香苗氏が続けてご長逝されてしまい、聞き取り調査を行うことができなってしまっただけでなく、関係資料へのアクセス方法や所在場所も大きく変わってしまったために、具体的な研究手段・方法について一部変更を余儀なくている。このことを含め、しかたのないことではあるが、研究対象となる時代を間接的に知っている人達がかなり少数になってきており、聞き取り調査による研究の進展が難しく、このようなマイナス材料については、図書や新聞の調査を増やすことによって、研究成果の質を維持したく考えている。 しかしながら、国会図書館やフランスの国立図書館(BNF)に代表されるように、研究に関係する資料を含む貴重な図書や新聞が電子アーカイブ化も進んでおり、そちらの方で、本研究に関連する資料を発見することもあるため、当時のフランスの新聞のアーカイブ・サイト等を利用することによって、現存を確認することのできていなかった資料や現存が噂されていたものの実際には存在していない資料について確認することもできた。 このように、コロナや遺族の死亡などに伴う、研究方法、手段の大幅な変更は余儀なくされたものの、ある程度は、上記のような代替の措置によって補填することができたと考えるが、現地調査や現地での情報の発信はもう少し数をこなしたかった。
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今後の研究の推進方策 |
今年度は、本研究の最終年度の年ということもあり、本研究においてコロナの蔓延等もあって遅れ気味であった海外(ヨーロッパ)での調査と、その研究成果の情報発信を当地の人々との連携を図りながらできる限り進展させるとともに、本研究のここまでの調査で明らかになってきた、ヨーロッパに端を発する近代的な相互扶助思想の日本への伝来の過程について、一つの連続性のもとにまとめあげたいと考えている。 一言に西洋初の近代的相互扶助思想の日本、ないしは日本の人々への受容、伝播と言っても、思想的な要素(共産主義、無政府主義等)が強い部分と、宗教的な要素(キリスト教)の強い部分が混在しており、それぞれの独自性を考慮に入れつつ、この二つの要素が日本の知識人の精神の中でどのように混ざり合い、分かちがたいものになっていったのかについて、当時の日本の知識人の欧米体験だけからではなく、同時期に欧米から来日し、日本においてキリスト教の伝道を行った宣教師達の日本人達との交流や彼等が日本人達に行った教育の様子やあり方から双方向的に明らかにしていきたい。 また、本研究の全体像を活字化し、学術の世界のみならず、広く市井の人々に報告するために、本研究の論文化、研究報告、講演等の実施、新聞等のメディアを通じた研究内容の紹介に努めたい。本研究を端緒とする新たな研究への配慮として、今後の研究が円滑に遂行されるように、資料の所持者や所有施設を縦横に結びつけられるようなネットワークの構築も進めておきたい。 その一方で、研究対象となる時代のことを知っている人間が時代の経過とともに少なくなるつつはあるが、ご遺族等の中で、本研究に関係することで情報を持っている関係者がおれば、積極的に足を運んで聞き取り調査等を行って、有形無形の歴史的な資料が喪失していくことをできる限り防ぎ、次代に残る研究資料として形にする所存である。
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