研究課題/領域番号 |
19K15187
|
研究種目 |
若手研究
|
配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分23040:建築史および意匠関連
|
研究機関 | 明海大学 (2020-2023) 豊橋技術科学大学 (2019) |
研究代表者 |
劉 一辰 明海大学, 不動産学部, 准教授 (90782342)
|
研究期間 (年度) |
2019-04-01 – 2025-03-31
|
研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
|
配分額 *注記 |
3,770千円 (直接経費: 2,900千円、間接経費: 870千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2020年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2019年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
|
キーワード | 租界 / ロシア建築家 / ロシア租界 / 洋行 / 近代建築 / 新市街計画 / 商館 / 水運 / 洪水 / ロシア人建築家 / ソ連 / 条約開港都市 / お雇い外国人 / 洋務運動 / 植民地 |
研究開始時の研究の概要 |
近代のアジアには多くの条約開港都市が設けられた。そこで活動した西洋人建築技術者を通じて近代建築技術が導入された。本研究では、①1840年以後、中国では多くの西洋人建築技術者が活動し、その中には教鞭をとり、中国人建築家の育成を行った人物がいた。②20世紀初頭から1950年代まで、西洋人建築技術者に学んだ中国人建築家が活躍するようになった。③1950年代より、ソ連への傾倒が著しく、彼らは中国大陸での活躍の場を失い、海外へ渡って世界的な建築家となった。中国と日本は、西洋建築技術の導入プロセスには類似点が多いが、自立へ向かった経緯には大きな違いがあったことを考察し、建築の近代化過程の連続性を紐解く。
|
研究実績の概要 |
ここまで、新型コロナウイルス及びロシアとウクライナとの戦争により、海外への調査出張がままならず、思うような史料を発掘することはできなかった。昨年度はようやく中国へ出張を行い、新疆ウイグル自治区でソ連時代の建築について残存調査を行なった。現在は、それぞれの建築と街区のプランの史料を探している段階である。また、他にも、Boris Velikovskyというロシア人建築家は、中国でいくつかの建築を設計していることがわかり、現在はこれらのリストの作成と、建築以外に、都市計画案を作成していたか否かについて、精査を行なっている。他に、天津の英租界に関する研究結果については、現在『urban perspectives』に投稿するために、執筆を行なっている。また、2024年に行われるInternational Planning History Societyで発表を行う予定である。また、天津の租界空間の形成について、上海のBundのように河に面して立地しているとは異なり、天津の場合はVictoria Roadに面して近代建築が立ち並んでいることの原因について解明している。その原因として、①租界地区を流れる海河の水流状態が悪化したことに影響され、内陸の道路を正面として近代建築が建てられたことと、②建て替えのきっかけは義和団の乱があったことである。①については、海河の水流には土砂が多く含まれており、常に川底に堆積していたため、浚渫をする頻度を多く要するため、コストがかかることと、冬になると川が凍るため、航行が極めて不便になることが原因である。②については、義和団の乱によって、ゴードンホールなど、租界内の多くの建築が被害を受けたため、建て替えを余儀なくされ、そのため、Victoria Roadに面して建物を再建したことが原因である。 この研究結果についても、『Journal of Asian Architecture and Building Engineering』への投稿準備を行なっている。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
新型コロナウイルスと、ウクライナ・ロシア間の戦争によって、史料の入手が極めて困難になっためである。
|
今後の研究の推進方策 |
昨年に再設定した研究の方向に従い、現在は論文の執筆を行なっている。 Planning Perspectives、及びJournal of AsianArchitecture and BuildingEngineeringへの投稿を予定している。また、2024年に行われるInternational Planning History Societyで発表を行う予定である。
|