研究課題/領域番号 |
19K23025
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研究種目 |
研究活動スタート支援
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
0101:思想、芸術およびその関連分野
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研究機関 | 大谷大学 |
研究代表者 |
浦井 聡 大谷大学, 文学部, 助教 (50844370)
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研究期間 (年度) |
2019-08-30 – 2022-03-31
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研究課題ステータス |
完了 (2021年度)
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配分額 *注記 |
1,950千円 (直接経費: 1,500千円、間接経費: 450千円)
2020年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2019年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | 田辺元 / 種の論理 / 懺悔道 / 社会存在論 / 武内義範 / 将来する浄土 |
研究開始時の研究の概要 |
田辺元(1885-1962)は1934年から「種の論理」と呼ばれる社会存在論を構築したことで知られている。これは国家の統治に理性的根拠を与えることを目指したものであったが、戦時下の時局の進行の中、田辺の主張は国家絶対主義に陥ってしまい、その結果、1941年冬に田辺は著作の発表をやめてしまう。その後、1944年11月に田辺は思索の発表を再開するが、これに至るまでの約3年間の沈黙期の思索は、それを示した資料が少ないことからあまり知られていない。本研究は新発見の資料〈田辺元・武内義範往復書簡〉と、群馬大学に所蔵されている田辺の手帳の翻刻・分析を通して、この沈黙期の思索の深化の解明を目指すものである。
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研究成果の概要 |
田辺元の哲学は戦時下の社会存在論「種の論理」における哲学的挫折を経て前大戦末期以降の宗教哲学「懺悔道」へと大きく転回したと言われている。田辺はこの両時期の間の約3年間、自身の思索を自発的に発表しなかった。本研究はこの約3年の「沈黙期」の未公開資料(田辺の手帳・武内義範への書簡)を翻刻することに加え、この前後の田辺のテキストを読解することにより、「種の論理」から「懺悔道」への飛躍の実態を明らかにした。また、武内の浄土の存在論における田辺の社会存在論の図式の継承、および両者の思想的連続性を明らかにした。加えて、海外へ日本哲学を発信するために、海外の研究者と初期田辺の認識論の論考を英訳した。
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
これまで田辺哲学は十分に研究されてきたとは言い難く、今なおその思想は解釈の途上にあるため、全体像や哲学的意義は今後の研究を通して明らかにされなければならない。本研究の成果は「種の論理」と「懺悔道」の間の「飛躍」が、従来の研究で強調されてきたように〈全く別の哲学となった〉ことを意味するのではなく、連続性がかなりの程度保たれていたことを明らかに出来た。これによって従来の理解とは異なる田辺哲学像を示すことが出来た。また、田辺の社会存在論の継承者として武内義範を位置づけることに成功した。加えて、翻刻資料や著作の英訳により、今後の田辺研究、ひいては日本哲学研究発展のための新しい礎を築くことが出来た。
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