研究概要 |
平成21年度は,前年度に引き続いて,フィリップ・ファンデルマーレン(1795-1869)や,彼が1830年にブリュッセル旧市街の北西に隣接するモレンベーク=サン=ジャン地区に設立したブリュッセル地理学研究所と,1871年にアントワープで開かれた最初の国際地理学会議との関連について研究した。また,当該会議の提唱者であるベルギー王立図書館学芸員のシャルル・リューレンス(1820-1890)と,ファンデルマーレンやブリュッセル地理学研究所との関わりについても研究した。ファンデルマーレンは,土地一筆からベルギー王国を経て全地球に及ぶ多様なスケールでの,自然・人文にわたる地理的諸事実の科学的記載と情報提供,およびそれらの任務を担いうる人材の育成を研究所の使命とした。1871年のアントワープ会議は,地理的知識・技術の国際的交流や国際的標準化を目論んで開催された<平和の祭典>であったが,それはファンデルマーレンやブリュッセル地理学研究所の使命に適うものであり,フィリップ・ファンデルマーレンの名は,彼の死後に開かれた1871年会議のプロシーディングス(1872年刊行)の第1巻に,賛同者の一人として記されている。また,フィリップの息子であるジョセフ・ファンデルマーレン(1822-1894)の名も,会議開催当時のブリュッセル地理学研究所め長として,プロシーディングスの第1巻で言及されている。さらにブリュッセル地理学研究所は,全2巻のプロシーディングスに折り込まれた地図の大多数を作製し,会議に直接的な寄与を行ってもいたのである。それには,シャルル・リューレンスが行った講演「オーストラリアの発見」に関する地図も含まれていた(第2巻)。そしてシャルル・リューレンスは,モレンベーク=サン=ジャン地区に生まれただけではない。彼は若き日に,一般に開放されていたブリュッセル地理学研究所の図書室に出入りしていたのである。ブリュッセル地理学研究所は,1871年のアントワープ会議に多面的に関わっていた。これは,今日までベルギーにおいてもほとんど論じられなかった事実であり,本研究の意義は大きいと信ずる。
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