研究概要 |
F.フレーベル(Frobel, F.W.A. 1782-1852)の自然諸学教授の着想をもとに、19世紀前葉における人間形成と学術的な知識との連関について考察した。彼は寄宿学校「一般ドイツ教育舎」を1816年に設立以降、1820年代に彼はいくつかの論文を公表してきた。それら「カイルハウ小論文」と呼ばれる著述には、自身の教育舎の教育方針や内容、その有用性が主張されている。また、彼は主著『人間の教育』(1826)や「ヘルバ・プラン」(1828/1829)といった体系的な教授構想として読解できる文書を残した。加えて、週刊誌1826年に発刊した週刊誌「教育的家庭」(1826)においても教育舎での実践やその教授の断片がうかがえる。1820年代を中心としたフレーベルの著述を再構成すると、教授項目の中には基礎カテゴリーも含まれるが、同時にギリシア語やラテン語、博物学や地理、自然諸学といった民衆学校には見られないものも提供されていたことがわかる。フレーベルの教育上の思索は単に幼児期に留まらず、少年期や青年期までを含むものであったことがうかがえる。しかし、フレーベル研究者の間でも1820年代における活動の全容を知る者は少ない。その要因としては、フレーベルの思想や実践について後世への影響が主として幼児教育の領域にとどまっていたこと、そのために学校教育に関する事項は伝記的研究の範疇にとどまってきたこと、また第二次世界大戦後のドイツ分断を契機に資料収集が難しかったことなどが挙げられる。論者がその点で注目したのは自然諸学の教授である。そもそも教育舎設立前にフレーベルは鉱物学研究者であった。教育舎設立を決意したと同時期に彼は大学教授職の声もかかっていたのである。となれば、ある程度当時最新の鉱物学および自然諸学研究の成果を踏まえ学術的な知識と基礎陶冶、人間教育との連関について思索を深めたことを、未刊行資料「植物学構想」の読解を中軸にフレーベルの自然諸学教授の再構成を進めた。
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