「近代日本文学に与えた「優生思想」の影響に関する表象分析・比較思想史的研究」の課題のもと、近代文学のはらむ優生学的思想基盤について検証する必要があるとの問題意識にもとづき、その一端としてまず日本における研究の極めて乏しい世紀転換期の英国思想家・オリーヴ・シュライナー、またその人が属した思想圏について、明らかにすべく作業を行なった。 未公刊資料の収集・整備はもとより、大英帝国、南アにおけるシュライナーのフェミニストとしての活動を追いつつ、今日から見たその問題点の検証、帝国主義を背景とした拡がりのなかでのハヴロック・エリス、カール・ピアソンらとの関わり、優生思想と社会主義との関係などの観点について、これまでにない詳細な資料解読のなかでの把握が試みられた。時間を要する作業であるが、しかし、それらはあくまで研究に安定性をもたらす背景として退くことになる膨大な前提にすぎない。 よってこれをもって研究の出発点とし、さらに、日本におけるその影響、すなわち平塚らいてう、与謝野晶子をはじめとする『青鞜』メンバーたちに与えた優生思想の影響について、引き続き検証が行なわれた。平塚、与謝野らの優生学的発想に対する細かな検証は、従来、同時代の進化論に対して疑念なく進められたフェミニズム、社会主義思想の成果に対する熟考を迫ることとなり、意義のある精査な実証と考察をその成果として生みだすことができた。 今回の成果は他に見られる単なる事後的な優生学批判とは質を異にするものであり、またそれゆえに大正期の僅かな文学者・思想家にとどまることのない問題の根深さと広がりを、あらためて確実に明るみに出すものである。今後のさらなる地道な検証作業が、私個人の研究にとどまらず広く行なわれねばならないことを要請するものとして研究が提示されていれば、その意義は決して少なくなかったといえる。
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