研究課題
基盤研究(B)
本研究では,高時間解像度で過去の日本の温度や環境因子を可能な限り定量的に復元し,地球表層環境システムの支配プロセスを明らかにする.そして,「日本社会の大変革期が大寒冷期に対応している」との私達の仮説の成立要件を探求し,気候学,環境学,人類学という「自然科学」と,考古学,歴史学,経済歴史学といった「歴史科学」の両方の知識を駆使し,仮説を立証する.最終的に「気候-生産-人口-経済-社会」システムを歴史変化の主体をとみなし,新たなパラダイムと示唆を提出する.
紀元前6世紀後期から紀元前4世紀にかけては、大陸でも日本でも激動の時代であった。吉野ヶ里における社会の変化は、川幡ほかが弥生時代を対象に精密復元した東京湾コアの寒暖の気候変動と一致していた。吉野ヶ里の歴史は前期、中期、後期と三つに分けられる。吉野ヶ里前期は紀元前5世紀から紀元前2世紀となる。紀元前5世紀の最寒期に3ヘクタール程度の小規模な環濠集落が丘陵の南端に形成され、吉野ヶ里の社会は誕生した。その後、ほぼ2世紀にわたり気温は4度ほど上昇した。これを背景に作物の収穫量が増加したと推定される。この時期には吉野ヶ里の丘陵一帯に分散した「ムラ」が誕生し、「ムラ」から「クニ」へと発展する兆しがみえてきた。吉野ヶ里中期には、南の丘陵を一周する大きな外環濠が掘られ、集落の防御も厳重になってきて、「争い」が激しくなってきたことがうかがえる。気候は、紀元前2世紀と紀元後1世紀に寒冷化し、気温は最大で3度程度も下がった。敷地は20ヘクタール以上に拡大した。吉野ヶ里後期は紀元後1世紀から3世紀の期間となる。気温は変動しながら上昇していった。大型の建物も登場し、遺跡は最盛期(3世紀頃)を迎えた。遺跡は40ヘクタールを超し、国内最大級の環濠集落へと発展した。環濠の幅も6メートルを超えるりっぱなものへと改造された。「弥生時代後期後半」の最盛期には環濠集落は、延べ2・5キロメートルの外濠をもち、敵を防ぐ木柵、土塁を装備し、しかも物見櫓を備えていた。これらは、平和な縄文時代の竪穴住居群での生活とは対照的に、吉野ヶ里の人びとが集落間の争いも含めて精神的に緊張した生活を送っていたことを物語っている。吉野ヶ里遺跡では、受傷人骨と頭蓋骨を欠いた人骨が甕棺に入って出土している。日本では、弥生時代に入って、初めて対人の武器が所持されるようになった。
2: おおむね順調に進展している
コロナ禍で2021年度の野外調査などが遅れているが、その後は年度ごとに予定どおり進捗し,成果もでている。本テーマは日本人に関係したテーマなので成果物として全体をまとめて日本語で執筆された本を出版した。
科学的成果については国際誌に英文論文として発表することを第一としてきた。本テーマは日本人に関係したテーマなので成果物として授業や講演会などで社会の人にも貢献したいと思う。
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すべて 雑誌論文 (5件) (うち国際共著 2件、 査読あり 5件、 オープンアクセス 1件) 学会発表 (5件) (うち招待講演 3件) 図書 (1件)
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