研究課題/領域番号 |
20K00069
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01030:宗教学関連
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研究機関 | 東京外国語大学 |
研究代表者 |
八木 久美子 東京外国語大学, 大学院総合国際学研究院, 教授 (90251561)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2023年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2022年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2021年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2020年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
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キーワード | イスラム / 家族 / 世俗主義 / 国家 / ケア / 共同体 / 世俗性 / 国教 / 教育 / 宗教 / イスラーム / 結婚 / ウラマー / エジプト / アラブ |
研究開始時の研究の概要 |
本研究では、エジプトを中心としたアラブ・イスラム世界における、20世紀以降の家族に関する言説に着目し、アクチュアルなイスラムを取り巻く力学を明らかにする。家族法はイスラム法のままであるとされながらも、それをとおして求められる家族像が、国家の求める家族、つまり近代的核家族へ変えられていく過程についてはとくに注意を払いたい。なお、家族に関する言説に注目するのは、それがイスラム法の論理、近代国家の論理、さらには一般市民/一般信徒の論理もが交錯するダイナミックな空間を形成しているからである。
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研究実績の概要 |
2023年度は本研究の鍵概念のひとつである「世俗性」について再検討をおこなった。アラブ世界では、これまで「世俗主義」あるいは「世俗性」についてさまざまな名称あるいは訳語が使われてきた。20世紀前半に登場したのは「反宗教性」あるいは「非宗教性」を意味する「ラーディーニーヤ」という語である。しかしながらこの語は、宗教に敵対的な制度、体制を連想させることから使用されなくなった。その後、かなり長い期間使用されたのは「現世性」を連想させる「アルマーニーヤ」という名称である。 しかしながら、1980年代にイスラム復興、イスラムの公共圏における存在感の拡大という現象が発生し、さらにイスラム主義が先鋭化する1990年に入ると、この語もまたほとんど使われなくなった。その後、「マダニーヤ」という新たな語が登場し、今日に至るまで「アルマーニーヤ」に代わるものとして、使用され続けている。 実際、この語の形容詞形「マダニー(ヤ)」を「国家」を意味する「ダウラ」という語と合わせ、「ダウラ・マダニーヤ」という表現が多用され、あるべき国家像がさかんに議論されている。これは「市民国家」と訳されることが多いが、議論を詳細に追うと、この訳が適切とはいえないことが明らかになった。 というのは、この語は「市民的」とも訳せるが、「文明的」という意味も持つ。さらには、ムハンマドが築いた、史上初のイスラム共同体が登場したアラビア半島の町、メディナを指し、「メディナ的」という意味の形容詞でもある。 であるとすれば、「世俗主義」、「世俗性」を意味するアラビア語が単に変化したのではなく、「アルマーニーヤ」の国家と「マダニーヤ」の国家では、厳密には意味するものが異なること、後者ではメディナのイスラム共同体という理想国家が議論の出発点になっている可能性があることが明らかになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2022年度までは、「家族」という概念を中心に分析を行なってきたが、2023年度は「世俗性」という概念を再検討することで十分な成果を上げることができた。 コロナ禍のため、当初の予定通りには現地調査ができなかった時期が長かったものの、入手可能な資料を用いることで、これまで大雑把に「世俗性」、「世俗主義」と訳されてきた複数のアラビア語がもつ含意の差異が重要な意味をもつことが明らかになったことの意義は大きい。とりわけ、その語を使用する当事者のイスラム観の変化をも映し出している可能性が浮かび上がったことは、今後の研究にもつながるあらたな突破口といえる。
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今後の研究の推進方策 |
これまでの研究で明らかになったのは、近代国家が成立するなかで、国家の介入により、イスラム教徒の家族観が変容を余儀なくされたこと、そしてその介入において、イスラムの言説が、なかば恣意的に利用されたという事実である。研究対象としたエジプトに関していえば、宗教が国家を支配するのではなく、国家が宗教を支配するという意味において、国家は「世俗性」を確立したといえる。 しかしながら、これまでおこなってきた、あるべき国家像をめぐる議論の分析をとおして明らかになったのは、イスラム主義陣営であれ、リベラルな陣営であれ、論者の立場を超えて、国家の基盤にイスラムが存在すべき、という見方が共通の前提となっているという点である。 であるとすれば、イスラム復興を経て、さらにはイスラム主義、政治的イスラムの後退という現象を経て、人々がイスラムに期待するものが大きく変化しているのではないか、という新たな問いが浮かび上がってきた。 今後はこの点に焦点を当て、イスラムが具体的な規範の集積とみなされているのか、それともあらゆる議論の根幹を支える究極的な価値とみなされているのか、といった点から考察をおこなっていきたいと考えている。
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