研究課題/領域番号 |
20K00135
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01050:美学および芸術論関連
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研究機関 | 日本大学 |
研究代表者 |
高久 暁 日本大学, 芸術学部, 教授 (20328769)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
2,730千円 (直接経費: 2,100千円、間接経費: 630千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | エタ・ハーリヒ=シュナイダー / チェンバロ / 鍵盤楽器演奏 / 20世紀音楽史 / 日本音楽研究 / 日本学 / ベルト・レーリンク / ズザンヌ・ケルクホフ / チェンバロ演奏 / 日本古楽演奏史 / 近代日本音楽史 / 日本における外国人演奏家 / 鍵盤音楽史 / 西洋音楽史 / チェンバロ演奏史 / 日本における外国人演奏家の活動 / 山田耕筰 / 日本の古楽演奏史 / 日本のチェンバロ演奏史 / 日本の外来音楽家の活動史 / 日本の西洋音楽史 / 外国人による日本音楽研究 / 古楽演奏史 / 日本音楽研究史 / ゾルゲ事件 |
研究開始時の研究の概要 |
ドイツの音楽家・音楽学者エタ・ハーリヒ=シュナイダー(1894~1986)は、日本における職業的で本格的なチェンバロ演奏の祖となった古楽演奏のパイオニア、外国人による日本伝統音楽研究の先駆者、シェイクスピアの全ソネットや日本の昔話を翻訳した翻訳家、著名なスパイ、リヒャルト・ゾルゲと親密に交際し、東京裁判の傍聴記録を残した「時代の証言者」など、音楽家や音楽研究者の枠を超えたさまざまな側面を持った人物であるが、その業績の全体像はいまだに明らかになっていない。当研究は彼女の再評価を目的として、彼女の業績と経験の総体を書誌を作成してまとめ、現代における彼女の存在の重要性を社会に問うものである。
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研究実績の概要 |
研究対象とするドイツの鍵盤楽器奏者・日本音楽研究者エタ・ハーリヒ=シュナイダー(以下EHSと略記)の音楽家・音楽学者としての活動について、次の観点から研究・調査を行った。①EHSが太平洋戦争期に東京の自宅で行った私的演奏会および1945年7月から8月にかけて疎開先の軽井沢で行った演奏会に参加した聴き手の氏名および素性(職業・居住地など)についての調査、②EHSが占領期に行った音楽活動と、彼女と交流した法学者で極東軍事国際裁判(いわゆる東京裁判)の判事ベルト・レーリンクの手記の記述内容との照合、③EHSが行った日本音楽についての講演・研究発表のリスト化(日時、場所、テーマ、催事名)、④EHSが1955年以降ウィーン音大でチェンバロを教えた際の門下生のリスト化と彼らの音楽活動歴に関する調査、⑤EHSの長女の作家ズザンヌ・ケルクホフとEHSとの関係について記したファイルの調査および研究、⑥EHSと旧東独で活動したマルクス主義哲学者ヴォルフガング・ハーリヒ(EHSの離婚したパートナー、ワルター・ハーリヒの再婚相手の子)との間で交わされた書簡の解読、⑦EHSの幼少期の写真資料の研究。⑧EHSが1919年から1982年までの演奏活動において演奏したレパートリーの統計的調査。⑨EHSとジョン・ケージとの交流をめぐる調査。関連して占領期に行われた滞日ドイツ人送還事業におけるドイツ人音楽家のリスト化、②アジア諸国(韓国、中国大陸、台湾、香港、シンガポール)におけるチェンバロ演奏および演奏家の歴史・現況調査(欧米で活躍したアジア系チェンバロ演奏家を含める)、③レーリンクに関わる日本・オランダの音楽家についての文献調査、④ケージの一次資料についての予備的な調査を実施した。これらの研究はデスクワークを主とし、前年度からの継続と2023年度に開始したものがあり、いくつかは2024年度にも継続される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
①2023年夏にベルリン州立図書館音楽部門にあるエタ・ハーリヒ=シュナイダー(以下EHSと略記)のアーカイブで調査を実施する予定であったが、夏季休暇中に病を得たのと、研究者が搭乗予定だったフライトが予期せぬ理由で出発直前にキャンセルされるなどのトラブルが重なり、調査を中止せざるを得なくなった。②研究者が37年間交流して研究対象のひとつにもしてきた作曲家・篠原眞氏が2023年10月下旬から病気のため入院し、そのまま退院することなく2024年3月3日に92歳で没した。このことに伴い、2023年度の後半は篠原氏に関する諸活動(篠原氏の音楽活動についての聞き取り調査、入院療養に伴い篠原氏が独力で行うことができなくなった専門性が必要とされる作業(楽譜出版社との交渉、記事執筆の口述筆記など)、氏の作品演奏の準備など)を最優先に行わざるを得なくなり、また2024年3月には篠原氏の逝去の告知を報道機関や音楽関連組織へ行い、氏の葬儀にも告別式の挨拶を行うなど密接に関わることになった。③研究者が学恩を受けた人物が2024年3月末に逝去し、その葬儀にも関わらざるを得なかった。これらの事情に伴い、2024年2月から3月にかけて予定していた資料調査を行うことができなくなり、研究期間を再延長せざるを得なくなった。
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今後の研究の推進方策 |
2023年度の研究は【現在までの進捗状況】に記した「理由」によってデスクワークを資料調査に結びつけることができなくなかったため、使用した金額も少額となった。2024年度は研究の最終年度であり、また2023年度のような高度の緊急性を要する事態も出来しないものと考えられる。篠原氏の逝去をめぐる対応は2024年度初頭に一応の終結を見るため、2024年夏と2025年2~3月にベルリンにおけるエタ・ハーリヒ=シュナイダーのアーカイブほかの一次資料所蔵施設における調査を実施する。合わせてこれまでの研究を日英二か国語で報告書にまとめる所存である。
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