研究課題/領域番号 |
20K00177
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01060:美術史関連
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研究機関 | 明治大学 |
研究代表者 |
瀧口 美香 明治大学, 商学部, 専任准教授 (80409490)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
2,730千円 (直接経費: 2,100千円、間接経費: 630千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2022年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2021年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2020年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | キリスト教図像学 / ビザンティン美術史 / ビザンティン美術 / 聖堂装飾 / フレスコ壁画 / ビザンティン帝国の北 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、ビザンティン帝国の北に位置する諸地域に残された、ビザンティンの遺産に注目する。帝国の北と一括りに言っても文化的土壌は互いに大きく異なり、同じビザンティン芸術を取り込む際にもさまざまな差異が生じた。各々の場所に合った取捨選択の結果、ビザンティウムの遺産はいかなる変容をとげたのか。セルビアのアリリェの聖アキレウス聖堂を出発点として、ネマニッチ王朝最盛期の寄進へと対象を広げながら、帝国の北で、ビザンティン図像の中から何が継承され、何が新たに創り出されたのかを問う。帝国の北における文化交流の俯瞰図を描きだし、一国史の枠組みに限定された美術史を越えて、正教会美術を体系的にとらえることを目指す。
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研究実績の概要 |
ビザンティン帝国の北に広がる諸地域では、後期ビザンティンの聖堂装飾の模倣が多く行われた。そのため、ビザンティン美術の痕跡は、帝国内よりもこうした地域において多く残されている。ただし、それぞれの地域は文化的土壌が大きく異なっていたために、同じビザンティンの図像体系を規範としながらも、さまざまなバリエーションが生じた。 本研究において第一に取り上げたのは、中世セルビア王国のネマニッチ王朝の王たちが建立した聖堂装飾である。その聖堂装飾には、ビザンティン帝国の美術のみならず、西ヨーロッパのロマネスク、あるいはゴシック美術の要素が取り入れられている。したがって、ネマニッチ王朝の聖堂装飾を分析するにあたっては、セルビア王国とビザンティン帝国の交流のみならず、西ヨーロッパとの交流に目を向けることが不可欠である。このことから、十字軍および聖地エルサレムを新たなキーワードとして、両者の交流を探ることが必要であると考え、実地調査に赴いた。 エルサレム旧市街にある大天使ミカエル・ガブリエル修道院は、1312年にセルビアのミルティン王により設立された。 場所はエルサレム旧市街の城壁内で、聖墳墓教会やギリシャ正教会総主教座の近くに位置している。修道院は、ビザンティン帝国の修道院(4世紀建立)の跡地に建設された。セルビア王国のミルティン王は、義父であるビザンツ皇帝アンドロニコス2世パレオロゴスを支援するためにセルビア軍を派遣し、オスマン軍を撃退した。この時の勝利を記念して、ミルティン王は、ここ聖地エルサレムに大天使ミカエル・ガブリエルに献堂する修道院を建設した。エルサレム旧市街の城壁内の史跡を訪問し、同修道院の歴史的・地理的位置付けを確認した。聖地エルサレムにおけるセルビア王の働きを認識することで、セルビア王国内の諸聖堂と聖地巡礼との関連性を探る大きな手掛かりとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
新型コロナウィルスのため渡航できず、当初予定していた実地調査ができなかった。2023年春にようやく渡航できたものの、これまでの遅れを取り戻すには至っていない。
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今後の研究の推進方策 |
本研究を推進するに当たって、現地に赴いて聖堂の調査を行うことは不可欠である。今後はロシアとウクライナの戦況を見ながら、可能な範囲で実地調査を継続したい。また、昨年度に引き続き文献資料の整理を行う。
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