研究課題/領域番号 |
20K00278
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分01080:科学社会学および科学技術史関連
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研究機関 | 東京理科大学 |
研究代表者 |
愼 蒼健 東京理科大学, 教養教育研究院葛飾キャンパス教養部, 教授 (50366431)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2022年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2021年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2020年度: 1,690千円 (直接経費: 1,300千円、間接経費: 390千円)
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キーワード | 医学史 / 科学史 / 生理学史 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究の目的は、1935年以降に登場した「日本医学」運動の思想と行動を再構成し、「戦時期」日本における医学論・生命論の日本主義的展開を、戦時期「以前」および「敗戦後」との断絶・接続も含めて、歴史的に解明することである。より具体的には、(1)生命現象の理解を目指す生理学者、(2)治療を重視する臨床医、(3)明治期以降の「衰退」に抗い「復興」を目指す漢方医の三者を、<合流前史>と<30年代中盤の合流>、そして<1945年以降の変化>に時代区分し、1920年代から1950年代までを検討対象とする。また、「日本主義」という言葉を用いて、「国粋主義」や「国家主義」との緊張および融解についても検討する。
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研究実績の概要 |
「日本医学」を一つの思想運動と捉えるとき、その柱は「生命の全機性」と「日本主義」である。しかし、戦後の日本体力医学会を見る限り、浦本政三郎や東俊郎の言葉に、そして『体力科学』の論文に「全機性」や「日本的な医学」を見出すことはできない。しかし、体力医学の成立を振り返った名取禮二は、1990年に体力医学という学問の特質を次のように述べている。「体力の研究は人体を対象にして人を全体として捉えようとする。したがって分析という面では共通しても総合という点で他の医学領域と多少異なる面が出てくる」。名取は橋田の名前こそ挙げていないものの、生理学において分析と同時に総合が要請される研究の難度の根底には、「生命の全機性」があるのだと書いている。名取は慈恵医大における浦本政三郎と内山孝一の授業から橋田思想に接し、橋田ー浦本―名取の思想的繋がりが生まれた 。声高な日本主義的な主張は消えたが、名取において「生命の全機性」概念は浦本・内山を通じて生き続けた。 では、日本主義的な主張は消えたのだろうか。浦本は戦時期と戦後における体力研究の考え方に変化があると述べていた。彼によれば、戦時期は「国民」体力の強化に努めたが、敗戦後は基本的人権の尊重と自主的・文化的な立場からより良き体力の発揮とより美しい身体の創造を終局目標とする 。しかし、日本体力医学会は1964年、2021年の東京オリンピックに積極的に協力している。また、オリンピック選手の育成とトレーニングに日本の体力医学研究は貢献している。浦本の戦後体力研究論は日本主義の戦後的再編だと考えられないだろうか。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年度は戦後の日本主義的生命論・医学論の系譜とその言説的再編について、9月に釜山大学の国際ワークショップにて発表することができた。しかし、もう一つの側面である「医学史研究」への傾斜については発表することができなかった。そのため、若干の遅れがあると認識している。
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今後の研究の推進方策 |
2022年度に予定していた研究の遅れを取り戻し、生命論・医学論の一部が敗戦後の「医学史研究」の中へ流れ込んだ詳細を追跡し、活字化していく。
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