研究課題/領域番号 |
20K00351
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02010:日本文学関連
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研究機関 | 新潟経営大学 |
研究代表者 |
西澤 一光 新潟経営大学, 経営情報学部, 准教授 (30248885)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2022年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2021年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2020年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
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キーワード | 契沖 / 万葉代匠記 / 高野山 / 弘法大師 / 漢籍 / 漫吟集 / 解釈学 / 漢籍受容 / 『万葉集』 / 中国文学 / 大伴旅人 / 山上憶良 / 漢籍引用 / 作品読解 / 漢籍出典 / 『三教指帰』 / 『万葉拾穂抄』 / 万葉集 |
研究開始時の研究の概要 |
契沖の『万葉代匠記』は完成後300年経った現在でも『万葉集』の注釈書として不朽の生命を保っているが、契沖の漢籍出典の指摘の背景には一貫した方法的準則のあったことが見通される。本研究は、この方法の明示化をはかり、漢籍出典の理論の再構築をめざす。 そのために、①『万葉代匠記』が利用する漢籍のコーパス全体を整理し、②『万葉代匠記』における漢籍の受容が作品の「解釈」をめぐって組織されていることを論証し、③最終的には万葉作品の「解釈学」のための漢籍受容の方法を明らかにする。 以上の研究は今後の『万葉集』の「解釈学」の基礎論の構築に資する結果をもたらし、また、研究のグローバル化の現状における課題である。
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研究実績の概要 |
2023年度は、『万葉代匠記』「総釈」について読み込みながら、高野山での漢籍研究との関連について考察を行った。なお、体系的な論には組み上がっていないため、文芸誌『波濤』(波濤短歌会刊)に2023年5月から2024年3月に至るまでの期間、「万葉学を遡る」という連載の5から10として、知見をメモ的にまとめる原稿を公刊した。 まだメモ段階のため、詳細を公開することは控えたが、高野山で阿闍梨位を得て曼荼羅院の住職となるまでと曼荼羅院から出奔して深山幽谷で練行するまでとさらに再度高野山に登ってさらに上の灌頂を受けてのち下山して素封家に寄宿して和漢の書物を研究するまでとの3つの時期について、伝記資料ならびに契沖自身の和歌集『漫吟集』所収歌を参照しつつ、思想的な変遷を分析した。その際、本研究のポイントとなる「漢籍」との関連での問題性としては、弘法大師の著作を契沖がどう読んだかが分析のカギとなると見通された。上記「万葉学を遡る」は学術専門誌ではないため、そのすべてを書くには至っていないが、いずれ公刊するつもりである。 契沖の思想的研究のためには、伝記的な整理が意味を持つことは、年来主張していることであるが、それは、契沖の生涯が真言密教と国文学研究とを通じて、ある意味で共通して解脱への道であることが確認できるからである。この1年間に安藤年山による「円珠庵契沖阿闍梨行実」と契沖の生涯の学友・義剛による「録契沖師遺事」とを読み込んで、このことを確認して、執筆したのが上記の「万葉学を遡る」という連載原稿である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
昨年より『弘法大師全集』から『三教指帰』、『秘密曼荼羅十住心論』、『文鏡秘府論』を中心に「声字実相義」までを読み込んでおり、これらの著作がきわめて難解なため、現在は読みの作業に注力する段階にある。契沖の学問の背景にはこれらの書物についての知識と知見があることはまちがいなく、これらの理解を経ることは契沖学の思想的本質をあきらかにするためには避けて通れないので、ひきつづき地道な読解作業に従事するほかはない。
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今後の研究の推進方策 |
現在は、『三教指粋』の構造的理解はできたので、『文鏡秘府論』における文学表現論を踏まえつつ、「声字実相義」における「声」と「文字」の問題の哲学的分析に従事している。弘法大師における「文字」の理解は真言密教における最重要事であることはよく理解できたが、なお、その「文字」のもつ意味については学理的分析による形式知化が必要である。そのうえで、契沖における「声」と「文字」についての考え方との照らし合わせを行うという段階に進むつもりである。この研究の開始時点より課題は具体化してきたものの、むしろ、難解になってきたのも事実である。とくに、契沖は、生涯の修学において、一方では真言密教の研究をつづけ、他方では国文学研究を深化させており、その二つがいかなる思想的な全体像の中でつながるのかについてはこれまでの研究史ではまったく問われていないため、この全体像を理解するためのクリティカル・ポイントとしての弘法大師の著作の読みにかけていく所存である。
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