研究課題/領域番号 |
20K00412
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02030:英文学および英語圏文学関連
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研究機関 | 富山大学 |
研究代表者 |
水野 真理子 富山大学, 学術研究部教養教育学系, 准教授 (40750922)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2024年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
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キーワード | 邦字新聞の文芸関連記事 / サンフランシスコでの文学活動 / 翁久允 / 長沼重隆 / 福田正夫 / 民衆詩派 / 野口米次郎 / 加川文一 / シアトルでの文学活動 / 『日米』 / 明石順三 / 山中曲江 / 黎明期移民文学 / 『旭新聞』 / 『遠征』 / 『顎はずし』 / 『愛国』 / 『あめりか』 / 日系アメリカ文学 / 日系アメリカ一世 / 日系移民 / 邦字新聞 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、1880年代から開始した日系アメリカ一世の文学活動について、ハワイを含むアメリカ全土の邦字新聞を中心に、包括的な作品の整理、データベース化を行うこと、さらにそれらを踏まえて、一世世代の文学活動の見取り図、文学地図を構築し、見過ごされてきた作品、作家・文芸人を掘り起すことを目的とする。一世の文学活動に関してはある程度の研究蓄積が積み上げられてきたが、それらは特定の邦字新聞、作家、俳人などに限られてきた。近年の新たな資料の発見、近年デジタル化された邦字新聞の資料にもとづき、一世世代の作品、作家・文芸人の情報を主要な邦字新聞ごとに整理し、データベース化を行う。
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研究実績の概要 |
本研究の目的は、1880年代から開始した日系アメリカ一世の文学活動について、邦字新聞資料をもとに包括的な作品の整理、データベース化を行うこと、それを踏まえて一世世代の文学活動の見取り図を構築することである。またその際、日本語、英語の言語の壁を越えて国内外の研究者と情報交換、研究成果発表を行い、国際的な研究交流を進めることである。 2022年度は『日米』に着目し、『日米』における民衆派詩人の動向について調査した。1910年代から1920年代にかけての長沼重隆、福田正夫、清水夏晨、翁久允らの記事およびホイットマンに関連する記事を抽出し、記事名、発表年月日などをデータ入力した。それらを踏まえると、彼らの文学的交流関係はホイットマンの受容を鍵として生み出されていたことが明らかとなり、アメリカにおける移民地文芸と日本における民衆詩派との文学的結びつきが明確になった。移民の現実生活を描くことを目指す移民地文芸と、民主主義の概念にもとづき労働者など市井の人々の声に着目しようとする民衆詩派との間に、親和性があると推察される。彼らの文学的つながりは、1920年代後半、翁や長沼が日本に帰国した後にも見受けられた。また翁ら一世世代から二世世代へと文学活動が引き継がれていく過程で、重要な役割を果たした呼び寄せ一世の詩人加川文一も、福田が主宰する雑誌『主観』にアメリカから詩を投稿していたことが判明した。このことから、民衆詩派が、一世世代から二世世代への文学活動をつなぐ鍵でもあったのではないかと考えられる。この点に関しても、さらに考察を深めていきたい。 このような調査と並行して、1900年代から1910年代半ばまでの、シアトルにおける文学活動、特に清沢洌の新聞記事の調査にも取り掛かったところである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
初年度(2020年度)の段階においては、年代ごとに区切り各新聞記事の調査を行うことを計画していたが、実際に作業を進めてみると、年代ごとの特徴にも留意しながらも、調査過程で見えてきた文芸人たちの具体的な人的交流、文学的な影響関係に焦点を当てて、記事を絞って抽出し整理していく必要性が出てきたため、そうした観点にしたがって新聞データ整理を進めている。 2022年度は『日米』における民衆詩派詩人たちとのつながりに焦点を当て、1910年代半ばから1920年代後半頃までを視野に入れて、『日米』の新聞調査を行った。1916年頃からホイットマンの作品やトローベルとの交流を介して、長沼重隆と福田正夫らが知り合うこととなり、1919年には清水夏晨がホイットマンに関する論稿を発表している。その後彼らが帰国した後は、日本でも交流を続け、そこに1924年に帰国した翁久允が合流し、民衆詩派とアメリカで文学活動を行っていた者たちとの文学的交流に結びついていく。これらについては「移民地文芸と民衆詩派―ヨネ・ノグチの周辺における一断面」(ヨネ・ノグチ学会での口等発表)、「初期日系アメリカ文学の再考―民衆詩派との交流に着目して」(『富山大学教養教育紀要』4号)として発表することができた。日系アメリカ文学分野においては、在米日本人作家と民衆詩派とのつながりについてはほとんど言及されることがなかった。また日本文学の分野においても注目されてはいない。そのため、これまで見過ごされてきた新たな観点を提示できたと考えられる。さらに、加川文一における民衆詩派の影響も推察され、1920年代から1930年代の日系アメリカ文学の状況のさらなる解明につながると考えられる。したがって、本研究はおおむね順調に進展していると言える。
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今後の研究の推進方策 |
2021年度においては『日米評論』『日米』『新世界』を調査し、1900年代から1910年代半ば、シアトルからサンフランシスコへと文学活動が移行していく点および両地における文学活動の違いについて考察した。2022年度においては、『日米』に着目して、民衆詩派との関係というキーワードで文学活動の調査を進めた。これらを踏まえて、2023年度においては、次に、サンフランシスコ方面に文芸人たちが移動していった後のシアトル周辺の文学活動がどうだったのかを調査する。日本では閲覧することが困難な『北米時事』の調査をアメリカのフーバー研究所で行いたいと考えている。『北米時事』の主に1918年から1920年にかけての記事を対象とする。1910年代半ば以降、シアトルでの文学活動は衰退していったとされてきたが、1930年代に入ると詩人の糸井野菊(二世作家モニカ・ソネの母)などが積極的に作品を投稿していたようである。糸井らシアトルを中心とする文芸人たちは、1936年に創刊、サンフランシスコやロサンゼルスの文芸人たちを中心とする文芸雑誌『収穫』にも参加している。1918年から1920年頃のシアトルでの文芸状況を明らかにすることは、1930年代以後の文学活動がどのように生み出されていったのかを知る土台となるだろう。 このような新聞調査と並行して、翁久允のアメリカ時代における文学活動を、短編小説に焦点を当てながらまとめる作業を行いたい。というのはこれまでの新聞調査により、翁の周辺の文学活動の状況が明確になり、翁の文学活動そのものもより立体的に描けると考えられるからである。これについては単著での出版を目指しているため、その原稿作成を2022年度から進めてきたが、本年度も継続して取り組んでいきたい。また、2022年度に浮かび上がってきた翁、民衆詩派と加川文一の関係についても、調査を進めたい。
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