研究課題/領域番号 |
20K00415
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02030:英文学および英語圏文学関連
|
研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
石割 隆喜 大阪大学, 大学院人文学研究科(人文学専攻、芸術学専攻、日本学専攻), 教授 (90314434)
|
研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
|
研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
|
配分額 *注記 |
1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
2022年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2021年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2020年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
|
キーワード | ピンチョン / V / ダンテ / 神曲 / 宗教 / 神 / ミメーシス / ポストモダニズム / メイスン&ディクスン / 科学 / 重力の虹 / ニュートン / ラプラス / コペルニクス / ケプラー / ガリレオ / ラッダイトをやってもいいのか? / ネーゲル |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、トマス・ピンチョンの作品全体を内容と形式の両面において貫くテーマが「見ること」であるという観点からピンチョン文学を捉え直そうとする研究の一環として、特に小説『メイスン&ディクスン』とエッセイ「ラッダイトをやってもいいのか?」を取り上げ、両作品における科学と人文学との接触に注目し、そこから、モダニズム小説の特徴とされる認識論とポストモダニズム小説の特徴とされる存在論がピンチョンにおいていかに混在し、せめぎ合っているかを明らかにしようとするものである。
|
研究実績の概要 |
昨年令和4年度の実施状況報告書の「今後の研究の推進方策」には、令和5年度にピンチョンのエッセイ「ラダイトになっていいのか?」についての研究を開始すると書いた。また「研究実績の概要」には、『メイスン&ディクスン』における主人公たちの「見ること」が科学(天文学)と宗教(キリスト教、そして神)の交点に位置していることを明らかにし、そこから同作の現実表象の特徴を探る研究を進める中で、天空に神を見る二人の主人公がなぜ地上の政治といった人間的出来事には同様に神を見ることができないのか(「神の意図は知り難し」)ということが重要な問題として浮上してきたと書いた(これは、地上のあらゆる出来事に「神の手」を見るピューリタンが登場する『重力の虹』におけるカルヴィニズムという問題と関係する)。これらを受けて、令和5年度は、宗教のラダイト的性格を指摘する「ラダイトになっていいのか?」を、宗教あるいは神に対するアンビバレンス(自然の科学的な探究である天文学を通じて現れる神と、体制的「選ばれし」エリートの後ろ盾となる神)という観点から考察する予定であった。だが予定を一部変更し、令和5年度は、当初の研究計画には含まれていなかった作品を、研究目的に沿う形で「見ること」という観点から考察することを行った。 その内容は、アウエルバッハ『ミメーシス』のダンテ論を参照しつつ、ピンチョンの『V』とダンテの『神曲』における「見ること」の相違を明らかにするというものである。『神曲』における神の計画の放射としての地上の歴史は『V』における「名前なき究極のたくらみ」の表出としての世界史(とイニシャルVの女)と同型であるにもかかわらず、『神曲』においては歴史的存在たる人間の個別性が「見える」ようになっている(とアウエルバッハは論じる)のに対し、『V』が描くのはイニシャルVの女が見えないということである点を明らかにした。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
一昨年令和3年度の進捗状況は「やや遅れている」であったが、その理由はコロナ禍への対応のため本研究課題以外の業務負担が著しく増し、当初予定していたエフォートを確保できなかったことであった。その遅れが尾を引き、昨年令和4年度の進捗状況は「遅れている」であった。こうした過去の遅れが原因となり、令和5年度も予定していたペースでの研究を進めることができなかった。また令和4年度同様、予定していた海外の学会(フィラデルフィアで開催された2024 MLA Annual Convention)への参加がかなわず(入試業務と日程が重なったため)、研究に資する最新の情報を入手できなかったことも研究の遅れの理由の一つである。以上のことから、令和6年度までの期間再延長申請を行い、認められた(当初の研究期間は令和4年度まで)。
|
今後の研究の推進方策 |
「研究実績の概要」に記したとおり、令和5年度は研究目的の範囲内での研究計画の一部変更として、『V』における「見ること」をダンテの『神曲』と比較しながら考察した。令和6年度はこの考察をさらに深めるため、ピンチョン研究史において重要な「百科全書的ナラティブ」という概念について再検討する。なぜなら「百科全書的」な作品にはダンテの『神曲』が含まれているからであり、またこの概念はナラティブのスタイルのみならず主体の問題とも関わるものだからである。「見ること」をダンテの理性と信仰の主体からピンチョンのパラノイア的主体への移行に関わる問題として捉えられるように思われる。令和6年度は本研究課題の最終年であるため、この『V』論の学会発表を行うべく応募する予定である。 やはり「研究実績の概要」に記したエッセイ「ラダイトになっていいのか?」についての研究は、ダイナマイトを用いての鉱業資本に対する「打ちこわし」を直接的に描く『その日にそなえて』(『逆光』とのタイトルで既訳がある本作もまた、複屈折という「見ること」に関わる小説となっている)をも視野に入れた新規課題として令和7年度から仕切り直しをすることを計画している。
|