研究課題/領域番号 |
20K00496
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分02040:ヨーロッパ文学関連
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
永盛 克也 京都大学, 文学研究科, 教授 (10324716)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,420千円 (直接経費: 3,400千円、間接経費: 1,020千円)
2022年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2021年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2020年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | アリストテレス / 詩学 / アナグノリシス / ラシーヌ / ダシエ / 認知 / コルネイユ / フランス古典悲劇 / フランス17世紀演劇 / レパートリー / 悲劇 / フランス文学 |
研究開始時の研究の概要 |
アリストテレス『詩学』における「ミメーシス」の原則をふまえ, 悲劇のプロットの構成要素である「認知」を心理的発見として拡大解釈し, さらに, そのような「認知=発見」を観客・読者による受容というレベルにおける作品の構造や意味の能動的な認識・把握をも含意しうるものとして解釈することにより, フランス17世紀を代表する悲劇作家コルネイユとラシーヌの劇作法の本質的な違いを明らかにするとともに, 作品内の登場人物における認識・発見としての「認知」と観客・読者のレベルにおける解釈行為としての「認知」を統合した視点を提示する.
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研究実績の概要 |
本研究はアリストテレス『詩学』の主要概念である「ミメーシス」をもう一つの主要概念である「認知=発見(アナグノリシス)」と関連づけることによってフランス古典悲劇における創作と受容の両面について考察を行うことを目指すが、昨年度に引き続き本年度においても、「認知」が単なる物理的発見ではなく、より広い意味での認識や自覚、心理的発見として拡大解釈されていたことを17世紀および18世紀のフランスの文献資料により検証した。 ダシエ(『アリストテレスの「詩学」』、1692年)は悲劇における「過失」を登場人物の無知あるいは軽率さに由来するものと解釈する一方、サラザンと同じく「激情」に起因する場合もあるとしているが、このダシエの解釈に同時代のラシーヌ悲劇の例が影響を与えている可能性を指摘した。また18世紀においてマルモンテル(『文学原理』、1787年)が自らの内にある激情によって不幸へと引きずられる登場人物こそ興味深いと述べて、上述の17世紀の解釈を引継ぐとともに、この図式にはっきりと道徳的効用を見い出している点を指摘した上で、この立場を悲劇作品の受容の問題と併せて考察した。17世紀末から18世紀中葉にかけての解釈においても、悲劇の筋の転回点が登場人物の認識や自覚の瞬間に対応する─つまり「逆転」と「認知」が同時に起きる─と考えられていること、また、劇的アイロニーの原則により認識論的に優位に立っているはずの観客において、登場人物に対する同一化が妨げられるわけではないことが了解されていることも改めて確認した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
16世紀および17世紀のイタリア、オランダ、フランスの理論家が詩学における「認知」の概念をどう理解していたかを明らかにするため、アリストテレス『詩学』の翻訳・注釈書、およびそれをふまえた詩学・悲劇論の該当箇所を比較・検証することを本年度は予定していたが、種々の事情から、フランス国立図書館における資料の閲覧を行うことはできなかった。また、本研究課題についてフランスの研究者と直接意見交換を行うこともできなかった。したがって、フランス17世紀の詩学における「認知」の概念についての比較・検証作業はやや遅れることとなった。 その一方で、フランス17世紀における詩学・悲劇論と接続する形で、あるいはその延長線上において18世紀の詩学・文学論を検証する、というこれまでの研究ではとられてこなかったアプローチを行うことで一定の成果を得ることができた。「認知」の概念を「身元が不明であった人物の正体の発見」という狭義に限定せず、心理的発見、つまりそれまで意識されていなかった因果関係や動機の把握・認識としてとらえる解釈が17世紀末の時点である程度の正当性を得るようになり、18世紀の詩学・文学論においても「認知」についての拡大解釈が行われていることを確認することができたことは進展と言ってよい。
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今後の研究の推進方策 |
当初計画していた通り、16世紀および17世紀のイタリア、オランダ、フランスの理論家が「認知」の概念をどう理解していたかを明らかにするために、アリストテレス『詩学』の翻訳・注釈書、それをふまえた詩学・悲劇論の該当箇所の比較・検証作業を進めていく予定である。 また、「認知」の概念を手掛かりにして、コルネイユ悲劇とラシーヌ悲劇における「結末部」の比較・検証作業を進めていく予定である。コルネイユ劇とラシーヌ劇の本質的差異を検証することは本研究課題において重要な部分を占めることになる。さらに、「認知=発見」概念の拡大解釈を作品の解釈・受容との関連において検証し、登場人物のレベルにおける認識・発見としての「認知」と観客・読者のレベルにおける作品の構造や意味の把握としての「認知」を統合した視点を提示することを目指す。
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