研究課題/領域番号 |
20K01012
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03030:アジア史およびアフリカ史関連
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研究機関 | 長野工業高等専門学校 |
研究代表者 |
久保田 和男 長野工業高等専門学校, リベラルアーツ教育院, 教授 (60311023)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2024年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2021年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2020年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
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キーワード | 開封 / 江寧府 / 金陵 / 大運河 / 大都 / 上都 / 長安 / 南唐 / 五代十国 / 洛陽 / 徽宗 / 元符皇后 / 向太后 / 清明上河図 / 千里江山図 / 瑞鶴図 / 彗星 / 都城 / 征服王朝 / 比較都城史 |
研究開始時の研究の概要 |
領土の拡大に伴う遷都によって新しく建設された遼・金・元など「征服王朝」の各都城空間を、比較史的考察によって再検討する。新都建設において観察される変化に共通するパターンは、南北に城郭が連なる「日」字型都城から中央に宮殿が置かれる「回」字型都城への転換である。各征服王朝(遼・金・元)は、それぞれ後晋・北宋・金の開封を占領している。その際に開封に集積されていた中原文化を吸収する過程で、都城空間に上記のような変容が発生している。ただしそれぞれが占領した都城開封や学んだ中原文化はまったく同一ではない。この間の差違を手がかりとして比較史的に分析し、開封を基点とした近世都城史を構築する。
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研究実績の概要 |
昨年度は、本研究「近世東アジアの「征服王朝」にみえる都城空間変容の比較史的研究」の3年目だった。しかし、研究計画で予定していた現地調査をふくむ海外出張は、一昨年に引き続き、新型コロナウイルスの流行により、実現できなかった。しかし、一方で学術書一冊と、研究論文数編を公刊した。拙著『宋都開封の成立』は、総ページ数509ページに及ぶ大部の書籍であり、本研究に関連する研究報告である。学術振興会の研究成果公開補助金により、出版が実現した。とくに開封における郊祀儀礼や祥瑞の出現と、都市空間における宗教施設の配置や、政治問題とのかかわりを指摘したものであるが、本研究であつかう征服王朝の都城空間との比較検討に有用な研究である。また、論文としては、「呉の金陵府と南唐の西都江寧府」を公開した。この研究も、分裂時代の都城空間のあり方を、正統性の獲得や外交関係から明らかにしたものである。六朝時代には建康として、明清時代以降現代に至るまで南京として南中国の代表的な大都市について、ちょうどこの五代十國時代の研究は、日本では行われていなかった。したがって、オープンアクセスの紀要に発表したため、多くの閲覧者やダウンロードカウントを得た。また、宋代の都城開封についてのまとめの論文を、一般向けの雑誌(アジア遊学)に執筆したが、この論文は「宋都開封からの潮流11から13世紀における都城史の画期 」と題したもので、開封から元の大都いたる都城群を一定の分析視角から論じた試みである。本研究の現在の到達点を明らかにしたものである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
昨年度は、『宋都開封の成立』汲古書院を出版した。そこでは、征服王朝の都城と宋都開封の関係についての言及はされていないが、征服王朝の都城との比較の基盤が確立した。あわせて、昨年の長野工業高等専門学校紀要に掲載した、「南唐都城江寧府」の研究によって、新たな視角を獲得する事に成功した。「南唐都城江寧府の研究」は、日本ではかつて行われていなかったものであり、中国での研究や考古発掘の成果を参照した独自の研究である。本研究において、南北の都城史の統合としての征服王朝の都城史という構想の参照枠となることであろう。「アジア遊学」に執筆した「宋都開封からの潮流 11から13世紀における都城史の画期 」と題した文章は、開封から元の大都いたる都城群を王権儀礼という一貫した論理で説明した。本研究の現在の到達点をミニマムに明らかにしたものである。
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今後の研究の推進方策 |
今後も海外出張ができるかどうか難しいところである。可能中限り模索はするが、日本にいても、現在はある程度の現地の様子がよくわかるようになってきている。 そこで、日本国内における調査(対馬での宗氏文献の調査や博多の元寇防塁などの調査など)や中国での考古発掘資料を使った研究に注力することによって、研究計画の目的が達成できるように努力する方向で考えたい。 近年は、元の上都・大都に先行するカラコルムの姿が、3D画像で復元されており、このような成果を利用して、計画には入っていなかった、モンゴル高原の都城も含めた当該時代の都城空間の比較検討が可能になったと考えている。来年度が生集年度になるので、次の研究計画を考えながら、元の諸都城を研究してゆきたい。
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