研究課題/領域番号 |
20K01016
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03030:アジア史およびアフリカ史関連
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研究機関 | 筑波大学 |
研究代表者 |
上田 裕之 筑波大学, 人文社会系, 助教 (70581586)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2024年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2023年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2022年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
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キーワード | 雲南銅 / 制銭 / 銭貴 / 政策史 / 档案 / 清代貨幣史 / 中国貨幣史 / 銅価 / 鋳息 / 貨幣史 / 経済史 / 中国近世史 / 清朝史 / 銅銭 |
研究開始時の研究の概要 |
19世紀前半からなかばにかけて、清朝統治下の中国では「銀貴」と呼ばれる銀価(銀の銅銭との交換レート)の高騰に見舞われました。しかし、従来の研究の多くは専ら銀の動向に関心を寄せ、銅銭にはあまり注目していませんでした。本研究では、18世紀なかばは「銭貴」すなわち銭価高騰(銀価低落)の時代であったことを踏まえ、「銭貴」から「銀貴」へと反転していった経緯を明らかにすることを目指して、日本・中国・台湾において関係史料を徹底的に収集し、その内容に検討を加えます。
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研究実績の概要 |
本年度は、「清代乾隆中葉の雲南省におけるベン銅体制の変質と銅価増額の財源問題」(『社会経済史学』86(4)、2021)において乾隆中葉の雲南ベン銅の動揺を解明したことを踏まえて、それが雲南銅の供給を受けていた9つの省の貨幣政策にどのような影響を与えたのかを究明し、「清代乾隆後半における雲南ベン銅の動揺が各省に与えた影響」(『史境』82、2022)として発表した。その結論は以下の通りである。すなわち、乾隆31~37年に雲南銅生産が低迷して諸省の雲南銅採買を大きく遅滞させ、ついで同42年の雲南銅急減を発端として雲南銅の供給縮小が議論されることとなった。その過程で、江蘇・浙江両省は一時的に制銭鋳造を縮小し、江西・湖北・広西・貴州の四省は制銭鋳造を縮小させたまま旧に復することはなかった。また、その他に短期的な鋳造停止の事例もいくつか確認される。しかし、乾隆30年代には銭貴が概ね収束し、兵餉等に搭放する以外の制銭を民間に販売する政策は既に継続困難となっていた。それゆえ、販売用の制銭の鋳造停止は避けられないところであり、江西・湖北・広西・貴州の4省の鋳造縮小はその結果に他ならなかった。また、江蘇・浙江両省の一時的な鋳造縮小も自ら望んで行っていたように見受けられ、その後に鋳造規模を復旧させたのも定例化していた兵餉搭放を継続するために過ぎない。前稿で明らかにしたように、乾隆帝は乾隆42年に雲南銅が急減してから雲南省に対して雲南銅供給の安定化を執拗に要求し、それによって銅価増額の財源を確保するための雲南省の制銭鋳造拡大に終止符が打たれた。しかしながら、諸省の雲南銅需要は本稿で見たように銭貴収束を受けて既に減退していたのであり、ここにおいて乾隆帝の対応の「過敏さ」が際立つ。その結果として、雲南省には乾隆末年までに巨額の雲南銅が死蔵されるに至ったのである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究の研究計画調書において、具体的に4つの課題を設定していた。本年度発表した論文においては、そのうち「清朝の雲南銅調達体制の不振」「清朝の制銭鋳造の不振」に関わる成果を挙げることができた。
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今後の研究の推進方策 |
引き続き『宮中档朱批奏摺財政類』『宮中档乾隆朝奏摺』を初めとする一次史料と『大清高宗純皇帝実録』『皇朝文献通考』『欽定大清会典事例』『欽定戸部鼓鋳則例』などの官撰書から関連する記載を徹底的に洗い出し、銅銭の安定流通が弛緩・瓦解していったプロセスの解明に取り組む。特に2023年度においては、乾隆中葉以降に雲南銅の生産において西部の寧台廠の比重が急激に高まったことについて、その経緯を跡づけるとともに銅銭流通への影響を検証したい。
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