研究課題/領域番号 |
20K01018
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03030:アジア史およびアフリカ史関連
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
津田 浩司 東京大学, 大学院総合文化研究科, 教授 (60581022)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2023年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2022年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2021年度: 910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2020年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
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キーワード | インドネシア / 華僑・華人 / 社会史 / 『民報(Min Pao)』 / 『共栄報(Kung Yung Pao)』 / 華人 / 地方史 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、インドネシア華人史においては資料の欠落から「空白期」とされてきた1940年代、特に独立期(1945~49年)の社会生活史を、それに先立つ日本軍政期との連続性に注意を払いつつ再構築するものである。 2020~21年度は、日本軍政期唯一の華人向け新聞の後継にあたる未注目の日刊紙『民報(Min Pao)』の紙面分析を通して、ジャカルタ内外の華人社会のパワーシフトの過程やネットワークの様態変化を明らかにする。 2022~23年度は、ジャワ内外の主要地方都市の図書館・研究所、華人系団体等で定期刊行物・記念誌等の資料を収集・分析を行い、地方ごとの華人社会の状況・展開の差異を視野に収める。
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研究実績の概要 |
■令和4年度は、年度初めに「今後の研究の推進方針」で記した通り、これまでに刊行準備を進めてきた書籍『日本軍政下ジャワの華僑社会―『共栄報』にみる統制と動員』の原稿の加筆修正・校正を行い、2月に刊行した。 独立期のインドネシア(特にジャワ)の華僑華人社会の実態解明を進めるためには、それに先立つ日本軍政期における彼らの歴史経験が大きな画期となっている。ただし、史資料の決定的欠落から、その軍政期の華僑社会にまつわる従来の歴史記述は(ごく一部の例外を除けば)、後にインドネシア独立という形で一応達成されたインドネシア・ナショナリズムの観点から逆算的に記述するか、あるいはごく限られたエピソードを武勇伝的に語るような類のものが主流をなしてきた。これに対し本書は、日本軍政期を通じてジャワ華僑を対象に発行が続けられた『共栄報(Kung Yung Pao)』の紙面を批判的に検討する作業を通じ、「インドネシア華僑華人史のミッシングリンク」と言われてきたこの過酷な時代の華僑社会の経験を、時系列に沿って実証的・包括的に描き出したものである。本書の随所(特に終章)では、『共栄報』の戦後における後継紙である『民報(Min Pao)』、および華僑系各種団体の記念誌・名簿類の分析等を通して、軍政期と独立期(および軍政期に先立つオランダ植民地期末期)との間でジャワ(特に首都バタヴィア=ジャカルタ)の華僑社会の組織(主要役員)の構成がどのように断絶・継続しているのかを、具体的に明らかにしている。 ■上記書籍刊行に加え、令和4年度中の本研究課題に関わる研究成果としては、国際研究集会で1件の口頭発表(基調講演)を行い、また1件の書評(新刊紹介)を執筆している。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
■令和4年度には、11月にインドネシア華僑華人に関する国際研究集会The 1st International Conference on Chinese Diaspora in Southeast Asia Studies (ICCDSAS)において基調講演を行った。 同講演は、『共栄報』を史資料とすることで何が明らかになるかをテーマとしたものであった。日本軍政期開始後1年ほど経った頃から、ジャワ全土の各州(17州、2侯地、1特別市)にはそれぞれの地の華僑住民を一元的に統制・動員するための枠組みとして「華僑総会(Hua Chiao Tsung Hui)」が設立されたが、講演内ではそのうち特に首都バタヴィア(後にジャカルタと改称)の華僑総会(ジャカルタ特別市華僑総会)を事例として取り上げ、『共栄報』掲載の記事を縦横に読み解くことで、その組織化と活動展開の過程が子細に跡づけ可能であることを実証した。また、その首都の華僑総会の組織化過程に注目すると、実はそれは軍政期以前からある首都の華僑系諸団体を寄せ集めつつ換骨奪胎する形で組み上げられたものであり、さらにはその枠組みは、戦後に(短命ながらも)成立した「中華総会(Chung Hua Tsung Hui)」にもほぼそのまま受け継がれた、という事実を明らかにした。 ■2月には、過去数年来取り組んできた日本軍政期ジャワの華僑社会に関する歴史研究の成果を、単行本として刊行した。同書には、『民報』の紙面分析等を踏まえ、日本軍政期と独立期のインドネシアの華僑華人社会の断絶性・連続性とに焦点を当てたセクションが収録されており、本研究課題の成果として大いなる進展があったといえる。
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今後の研究の推進方策 |
■令和5年度は、コロナ禍の影響が収束に向かいインドネシアへの渡航もおおむね支障なくなりつつあることを踏まえ、夏季にジャカルタのインドネシア国立図書館等での資料収集を中心に、現地調査を行う。とりわけ、『民報』紙の完全データの入手に注力する。 ■令和5年度中には、論文数本を含む成果公開を見込んでいる。この中には、昨年度来準備中の、林群賢(Liem Koen Hian, 1897~1952年)の1940年代前半の活動に焦点を当てた評伝が含まれる。林は、オランダ時代末期からジャーナリストとして活躍し、インドネシア独立後は同国の華人ら(特にプラナカン華人)をインドネシア社会の中に積極的に位置づけようと腐心した人物として知られるが、彼の日本軍政期・独立期初期の活動には未解明の部分が多い。同稿は、『共栄報』ならびに『民報』を中心資料とし、この点を明らかにするものである。 ■令和2年初以来のコロナ禍の影響により、長らく海外渡航が叶わず、旅費執行の停滞を含め研究が当初計画とは大きく変わってしまった。この点を踏まえ、本研究課題の期間を1年延長することを視野に、本年度の研究計画を進めていく。
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