研究課題/領域番号 |
20K01133
|
研究種目 |
基盤研究(C)
|
配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03070:博物館学関連
|
研究機関 | 新潟県立歴史博物館 |
研究代表者 |
田邊 幹 新潟県立歴史博物館, その他部局等, 研究員 (50373478)
|
研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
|
研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
|
配分額 *注記 |
3,770千円 (直接経費: 2,900千円、間接経費: 870千円)
2023年度: 130千円 (直接経費: 100千円、間接経費: 30千円)
2022年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2021年度: 1,040千円 (直接経費: 800千円、間接経費: 240千円)
2020年度: 2,080千円 (直接経費: 1,600千円、間接経費: 480千円)
|
キーワード | 博物館学 / 資料収集 / 学術ネットワーク / 越佐徴古館 / 災害復興 / 博物館 / 地域社会 / 近代 / 近代史 / 災害 / 地域 |
研究開始時の研究の概要 |
明治45年の大火で焼失した彌彦神社の再建に伴い計画された「彌彦神社徴古館」には、明治29年に同地域で発生した大水害「横田切れ」に関する資料を含め多くの資料が収集され、実現することはなかったが新潟県の歴史博物館かつ「横田切れ」復興記念館としての役割が期待されたと考えられる。本研究ではこの徴古館構想の復元を通して、近代の地域における災害復興および災害の記録、記憶の伝承、保存の構想を明らかする。
|
研究実績の概要 |
令和5年度は、令和3年度、4年度に引き続き弥彦神社宝物殿で所蔵されている資料を、申請者が所属する研究機関、新潟県立歴史博物館に運搬し、現状把握および資料の調査を行い、考古資料以外の資料について、弥彦神社宝物殿に返却した。また、越佐徴古館に収蔵された考古資料のコレクションの形成過程について検証するとともに、前年度に引き続き、越佐徴古館が設立される際の記録の調査を行った。 考古資料のコレクションの形成は以下の収集方法で成立したと考えられる。①地域で考古学の研究および考古資料の収集を行っていた人びとからの寄贈。②地域で考古学の研究および考古資料の収集を行っていた人びとが学校や自治体に寄贈したものが越佐徴古館に収蔵されたもの。③県民とくに寺社に伝世したものが寄贈されたもの。④弥彦神社境内からの出土品。①および②で大きな影響を与えた人物が設立委員として越佐徴古館に携わっていた当時新潟県立図書館長を務めていた山中樵である。山中は程カ島(現新潟市秋葉区)出土の遺物を自ら寄贈したほか、文書資料から山中を経由して考古資料が越佐徴古館にもたらされていたことが分かった。実際に考古資料を寄贈した人物については、村杉遺跡の曽我克太郎、水澤遺跡の宮澤萬平らがあげられるが、これらのネットワークについては、今後、『中部考古学会 研究報告』『高志路』等、当該期に刊行されていた学術刊行物の分析によって検証できると考えている。②は新潟市と新潟高等学校からの寄贈、峯岡小学校からの寄託から成る。これらについては神社と行政機関である県が一体であった当該期の特性や、大正期に隆盛した郷土研究・郷土教育との関係が想定される。今後の課題としたい。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
越佐徴古館収蔵の資料の整理・調査についてはほぼ予定通り進捗しているが、新型コロナウイルス感染症の拡大の影響で、越佐徴古館の設立過程に関わる資料の基礎データを入力する作業の人員が確保できず、全体的に工程が遅れており、その影響で考古資料のコレクション形成過程についての分析が大きく遅れてしまった。また、新型コロナウイルス感染症の影響もあり、他の所蔵機関・個人の所蔵する資料の 調査が遅れている。同様に、越佐徴古館を構想する際に参考にしたという伊勢神宮の徴古館、帝室博物館(東京国立博物館)の当時の状況との比較、越佐徴古館創立委員による前述の館の視察状況などについての調査が遅れている。
|
今後の研究の推進方策 |
考古資料のコレクションについて令和6年6月ころまでにはデータベース化が終了し、研究代表者の所属する研究機関の考古学の担当者の助言・助力を得ながら、そのコレクションの形成過程について検証する見込みであり、当該期に刊行されていた学術刊行物など、利用できる資料も豊富であることから十分な成果を得ることができる見込みである。 また、越佐徴古館の構想を研究する際に参考にし、先行事例として調査したとされる博物館等も資料から明らかにすることができており、これらの成果を活かし、研究のまとめ、新潟県という地域、特に、明治29年大水害横田切れの被災地において、越佐徴古館という地域博物館がどのような期待を背負っていたのか、について検討することができると考えている。
|