研究課題/領域番号 |
20K01261
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分05010:基礎法学関連
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研究機関 | 北海道医療大学 |
研究代表者 |
姫嶋 瑞穂 北海道医療大学, 薬学部, 講師 (60709252)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
2,210千円 (直接経費: 1,700千円、間接経費: 510千円)
2022年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2021年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2020年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | 国民優生法 / 遺伝病子孫防止法 / 優生保護法 / 優生政策 |
研究開始時の研究の概要 |
戦後の優生政策の原点である優生保護法の歴史的存立基盤について解明することを主眼とする。課題は3点である。 ① 優生政策対象者への認識の背景を理解するうえで必要な作業として、1920年代以降の日本における優生法立法化運動について整理を行う。 ② 日本初の断種法である国民優生法(1940年成立)が、厚生省において周到に準備されながらも結果的に断種政策としては低迷したまま敗戦に至った経緯について、断種法としての限界性に着目して検討する。 ③ 戦後の優生保護法制定過程における議員・国会およびGHQの姿勢の検討を通じて、産児制限の容認と中絶規制の緩和が優生政策の強化と不可分の関係にあったことを明らかにする。
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研究実績の概要 |
1933年の「遺伝病子孫防止法」(ナチス断種法)から「国民優生法」へと至る過程の草案や法案の変化に注目し、ドイツと日本の断種法の構え、ひいては優生政策の構えの決定的な違いについて考察した。 また、草案段階から議会提出された法案に至る過程、さらに法案が修正され法律が成立する過程で、法文がいかに変化したかを吟味することによって、当時の日本において断種法を実現するために何が必要とされたのかについて検討を行った。 さらに、国民優生法の断種法としての限界性と戦時期の断種政策の低迷にも注目し、断種政策独自の展開としては不充分に終わったその要因を具体的運用の中から考察することによって、優生政策を強化しえた戦後の条件について検討した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究の遂行には、国立国会図書館をはじめとした図書館での資料調査ならびに文献複写が必須となる。新型コロナウイルスの蔓延防止等重点措置は緩和されたが、近隣の北海道大学附属図書館が学外者の利用を制限していたこともあり、実地調査は限定的であった。郵送での対応にも限界があり、当初の予定よりやや遅れている。
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今後の研究の推進方策 |
人口政策の一環として戦時中位置づけられてきた優生政策は、断種対象の拡張のほか、強制断種の実施や断種手続きの簡便化などが実現し、戦後、優生保護法のもとでむしろ強化されている。優生保護法のもとで優生政策が強化されたことは、終戦直後の日本において、強力な断種政策を要請し、断種の実施を後押しする条件が国民優生法の制定された戦中期以上に出現していたことを示唆している。敗戦によって軍部が解体し民主主義が唱えられる中、出産の強制から女性を解放すべく制定されたはずの法律に、なぜ「優生」の要素が厳然と存続し、しかも強化されたのかについて、GHQの動向と関連させながら考察する。
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