研究課題/領域番号 |
20K12373
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分80010:地域研究関連
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研究機関 | 東京都立大学 |
研究代表者 |
野村 亜由美 東京都立大学, 人間健康科学研究科, 准教授 (50346938)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
4,290千円 (直接経費: 3,300千円、間接経費: 990千円)
2022年度: 1,560千円 (直接経費: 1,200千円、間接経費: 360千円)
2021年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
2020年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
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キーワード | ケア実践 / スリランカ / 高齢者ケア / withコロナ / 経済危機 / 高齢者 / 認知症 / 津波 / 老い / 強い心 / ケアの生態学 / 宗教実践 |
研究開始時の研究の概要 |
これまでの調査で,医学用語である認知症は「記憶の減退」として語られていたことが明らかになった.「記憶の減退」は津波後の家族成員や居住形態の変化,就労や賃金の不平等に対する不満,新たな親族ネットワークの形成に対する困惑などを端緒としてさまざまな家族の問題を顕在化させた.伝統的な「老人/家族ケア」が未だ理想として語られながらも,日常的な民族/近隣間との葛藤や軋轢は止むことがない.本研究ではこのような社会構造の流動化を捨象するのではなく,むしろ「強いこころ」を持ちながら外部を巻き込み―地域社会が分断されることなく―<内と外>を架橋しようとする,共同体と高齢者の生の営みを生態学的観点から明らかにする.
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研究実績の概要 |
スリランカはコロナ後に国が経済破綻したことで2022年に暴動が起きていた。暴動は一時的なもので、2023年には経済破綻は続いていたものの非常事態宣言が出されることなく落ち着きを取り戻した。そのためようやく、スリランカへの渡航の安全が確認され、2019年以来の訪問が可能となった。2019年~2023年までの約4年間は、現地有識者ら、また地元住民らとオンラインを通じて現地での高齢者ケアについてインタビューできた。インタビューでは、経済破綻後の苦しい生活状況について報告を受けるとともに、ケアを担う世代の海外流出の増加にともない、高齢者らが地域住民や寺院、教会からのサポートを受けながら過ごしている様子が垣間見えた。しかし経済状況の悪化により、それらの宗教施設や国からの金銭的なサポートを期待できず、疾病を抱える高齢者らは病院の受診が出来なかったり、受診ができたとしても治療のための薬を入手することができなかったため、疾病の増悪やそれに伴う死亡なども受け入れざるを得ないという状況であることが浮き彫りとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
津波被災後のスリランカは諸外国からの援助もあり急速な経済発展を遂げた。しかしそれから約20年後、スリランカは諸海外からの旅行客の足が途絶え、外貨を獲得できなかったことから経済破綻を迎える。もちろんこの経済破綻は外貨を獲得できなかったことだけが原因ではない。これまでの長い政治腐敗などさまざまな要因が絡んでいる。たとえばコロナ後に他国が徐々に経済回復していくにも関わらず、自国では暴動が起きたり、外出禁止令が敷かれたりと日常生活が一向に良くならない日々をある住民は「我慢」; イワシーマということばで表した。イワシ-マには我慢以外に、忍耐、辛抱という意味がある。先の住民は「自分たちの今の状況は政治の問題。腐敗は末端で澱んでいる」という。この「我慢」というシンハラ語は、我々が日常的に使用する「我慢」という意味を超えて、仏教的な意味で使われている。それは、欲を無くし、いまのこの現状を心を穏やかに過ごすことを意味する。このような状況は、日常生活の延長線上にある高齢者ケアにも影響を及ぼしていることがわかった。コロナ禍からコロナ後の時期、高齢者らは病院を受診したり、病院で処方された薬を購入するためのお金がなく、やむを得ず治療を中断したり、死亡したりする高齢者も少なからずいた。この要因のひとつが、ケアを担う世代がコロナを期に諸外国へ出国してしまったことである。ケア世代は、もはやスリランカの未来を描くことができず、また親世代もそれを子どもたちに期待して送り出すという後景を数多く見聞きした。しかしながら、では実際にケア世代が不在ななかどのようにケアが実践されているのかを見ることはできなかった。
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今後の研究の推進方策 |
スリランカの物価は未だ高騰したままであり、ケア世代の海外流出は留まってはいない。この4年間のあいだにどのようなケア実践が行われていたのか、ケア世代が不在のなかどのようなケア実践の回路が見いだされていたのだろうか、またそれらにどのような宗教的意味をもたらしていたのかについて現地に赴いて調査を続ける予定である。
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