研究課題/領域番号 |
20K12806
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分01020:中国哲学、印度哲学および仏教学関連
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研究機関 | 実践女子大学 |
研究代表者 |
張 名揚 実践女子大学, 研究推進機構, 研究員 (80850875)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
2,340千円 (直接経費: 1,800千円、間接経費: 540千円)
2022年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2021年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
2020年度: 780千円 (直接経費: 600千円、間接経費: 180千円)
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キーワード | 隋唐時代 / 密教 / 道教 / 星供 / ショウ(酉+焦) / 棗 / 香水 / 茶 / 「称名寺聖教」 / 煎茶法 / 点茶法 / 法具 / 喫茶文化 / 仙人 / 山林 / 聖教 |
研究開始時の研究の概要 |
中世日本に伝わる多くの密教書(聖教)には、茶を供物として利用することが記載されている。これらの宗教儀礼は、基本的に星宿の信仰に限定され道教など中国俗信の色彩が色濃く反映されている。 本研究では、星宿の信仰に関する記述が多く残る中世日本の密教書(聖教)を手がかりに、密教と道教、そして中国社会文化に関連する諸資料を参照しながら、【理論】と【作法】という二つの側面から中国密教における喫茶文化の形成について考察する。 本研究により密教における中国思想文化の受容のみならず、日本における喫茶文化の伝承と変遷に関する研究にも新たな視点が提供できると考える。
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研究実績の概要 |
今年度は、道教儀礼の一環である「ショウ(酉+焦)」と、道教文化を受容した密教星供とを対照しながら、両者の交渉について考察を行った。その成果を口頭発表「「天」に捧げる茶―「称名寺聖教」を手掛かりに―」(2022年度茶の湯文化学会東京例会)、論文「隋唐期道教祭ショウと密教星供の供物」(『年報』第42号、2023年)として発表した。また、国際共同研究として、引き続き道宣『続高僧伝』の一部の中国語訳注を「《続高僧伝》〈感通篇〉訳注(八)〈釈道英伝〉、〈釈叉徳伝〉、〈釈智則伝〉、〈釈通達伝〉」(『古今論衡』第38期、2022年。「釈通達伝」担当」)として発表した。 道教のショウの対象は様々であるが、初唐期まで、代表的なショウは星宿を祭るものと理解されていた可能性が高い。星宿を祭るショウの供物も多種多様であるが、初唐期は、干し肉と酒から、干し棗と「香水」と称されるものに変わっていく傾向にあった。干し棗の利用は、神仙思想を吸収した中国古代の祭祀儀礼と一致し、「称名寺聖教」などの密教書にも干し棗について神仙思想に富む記述が確認できる。「香水」について、密教星供では銭・茶・菓(干し棗)を供物として多用すること、茶の香りを持つ飲料としての性格、中唐期まで続いていた茶の名称の混乱とを併せて考察すると、「香水」は茶を指すと考えられる。 また、星供を記す密教書に、初唐期道教のショウにおける供物の変化との類似が見られる点は、興味深い。一行に仮託された『七曜星辰別行法』の供物のほとんどは、早期道教のショウによく用いられる干し肉と酒であり、ごく一部の星宿への供物が茶である。現在伝わる星供の次第を記す密教書には酒と干し肉の利用がほとんど見られず、茶と干し棗を多用していることから、『七曜星辰別行法』は、干し肉と酒から干し棗と茶に切り替わっていく段階に形成された道教文化を間接的に受容したものと推察される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新型コロナウイルス感染拡大の影響で資料の収集などに多少の影響が生じたが、すでに収集してきた資料の精読を通じて新たな問題点を見出すことができた。そのため、本研究はおおむね順調に進展していると言える。
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今後の研究の推進方策 |
道教儀礼など中国俗信を受容して考案された密教星供では、茶と棗が仙人と認識される星宿の供物として多用される。茶と棗は、密教が本格的に中国に伝来した盛唐期までに、すでに神仙思想と結び付けられており、供物としても用いられていた。『史記』封禅書などに見える、仙人の好物としての棗や、魏晋南北朝の志怪小説に見える仙人の特徴を持つ、「道士」と称される者の好物としての茶などがその例である。ここで注目されるのは、漢代の鏡銘には、仙人の飲食として玉泉と棗がよく記されていることである。喫茶文化が盛んになるとともに、漢代の仙人の飲食である玉泉と棗が、次第に茶と棗に変化し、仙人への供物として使用されるようになったという可能性が提起される。この可能性について論証すること、また隋唐期道教のショウと密教星供の次第を具体的に比較することは、これから研究を進める上で必要な作業である。これを中心として、引き続き中国伝統文化から道教思想、密教思想への受容と変容の過程について、詳細に検討していきたい。
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