研究課題/領域番号 |
20K12918
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分02010:日本文学関連
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研究機関 | 中央大学 |
研究代表者 |
富塚 昌輝 中央大学, 文学部, 准教授 (80772772)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
1,690千円 (直接経費: 1,300千円、間接経費: 390千円)
2022年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2021年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
2020年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
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キーワード | 悦田喜和雄 / 地域文学 / 徳島県の文学 / 地域人文学 / 徳島の文学 / 生活の中の文学 |
研究開始時の研究の概要 |
本研究は、徳島県で小説を書き続けた悦田喜和雄という作家の文学活動を総合的に解明す る。具体的には、①悦田喜和雄の作品の調査・収集、②悦田喜和雄の直筆資料の調査、③悦田喜和雄作品の分析という三つの作業を行い、地域に根ざして文学を書く・読むことの営為を行い続けたことが、悦田にとってどのような意味を持っていたのかについて明らかに する。その上で、地域で生きる人々にとっての文学活動の意義を探究する。
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研究実績の概要 |
令和5年度には、「悦田喜和雄「百姓は死んだ」論―「同じことばかり」書くことについて―」(『中央大学文学部 紀要』2024年2月)と題する論文を発表した。本論文では、悦田喜和雄「百姓は死んだ」(『徳島新聞』1971年4月24日~8月16日)を取り上げ、本作品が同じことを繰り返し書いていることの意義について考察を行った。「百姓は死んだ」は、「此家の人達」(『四国文学』1960年5月)等の先行作品を書き直した作品であるが、本論文では、先行作品と「百姓は死んだ」を比較し、本作品には内言や議論の言葉が書き加えられていることを指摘した。つまり、作品を書き直すことは、過去の作品に対して、作中人物の立場に再び立ちつつ、作中人物の思考をたどり直すという意義を持つのである。また、「百姓は死んだ」では、「百姓」「自己」「書くこと」についての議論など、同じようなテーマが何度も取り上げられる。様々な作中人物が同じテーマについて思考することは、一つのテーマについて、様々な角度からの考え方があることを示すと同時に、それぞれの考え方が対話的に関わり合うという効果も持つのである。 また、令和5年度には、富塚昌輝、黄鄭淇、田井康平、山本智美「佃實夫宛悦田喜和雄書簡の翻刻と紹介(一九五二-一九六一)」(『水脈』2024年3月)を発表した。本翻刻では、徳島県立文学書道館に所蔵されている悦田喜和雄の書簡のうち1952年から1961年に書かれた51通の書簡を翻刻し、あわせて注釈をほどこした。本書簡群は、①悦田喜和雄や佃實夫の文学活動について、②徳島県の文学動向について、③地域における文学活動の実相について、考える際に多くの示唆を得ることができる貴重な書簡群である。 上記の成果により、徳島県で活躍した悦田喜和雄の文学活動についての解明が進められただけでなく、地域や地方における文学活動の意義についても明らかした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
令和5年度は、これまでの調査・収集の成果をもとに悦田喜和雄の作品についての論文を発表することができた。また、悦田喜和雄の書簡の翻刻についても徳島県立文学書道館の機関誌に発表することができた。その点で、研究の進展があったと評価することできる。これまで、新型コロナウイルス流行の影響で研究の進展が遅れていたが、事態の収束にともない、おおむね順調に研究を進めることができた。
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今後の研究の推進方策 |
令和6年度は、悦田喜和雄が初期から晩期にかけて一貫したテーマとして書き続けていた「寂しさ」についての論文を執筆する予定である。「寂しさ」というテーマは、日本近代文学の中心的なテーマと言えるが、悦田はそうした問題意識を受け取り、自身の作品に反映させていったと見られる。悦田の「寂しさ」について研究することで、文壇の問題意識が地域の文学にどのように広がり、活かされていったのかについて明らかにする。 また、悦田喜和雄が佃實夫に宛てた書簡について、1962年から1964年にかけて書かれた書簡の翻刻・注釈を徳島県立文学書道館の機関誌である『水脈』に発表する予定である。 さらに、引き続き『徳島新聞』を中心に、悦田喜和雄に関する資料の調査・収集を続けていく。
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