研究課題/領域番号 |
20K12947
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分02020:中国文学関連
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研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
稲森 雅子 九州大学, 人文科学研究院, 専門研究員 (60847078)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2022年度)
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配分額 *注記 |
4,030千円 (直接経費: 3,100千円、間接経費: 930千円)
2023年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2022年度: 1,430千円 (直接経費: 1,100千円、間接経費: 330千円)
2021年度: 650千円 (直接経費: 500千円、間接経費: 150千円)
2020年度: 1,300千円 (直接経費: 1,000千円、間接経費: 300千円)
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キーワード | 単士厘 / 銭恂 / 受茲室詩稿 / 癸卯旅行記 / 張之洞 / 下田歌子 / 銭稲孫 / 目加田誠 / ジュディット・ゴーチエ / 清閨秀藝文略 / 単士厘(銭単士釐) / 清閨秀正始再続集 |
研究開始時の研究の概要 |
単士厘(1858-1945)は、清末民初の知識人女性である。外交官の夫・銭恂(1853-1927)の赴任を機に息子達を連れて来日し、日本の女子教育者らと交流した。文筆活動は、詩歌・旅行記(中国人女性として初)・女流文人目録・日本書籍翻訳と多岐にわたり、日本を題材とした詩文も多い。息子の銭稲孫(1887-1966)が漢奸(売国奴)とされていたため、研究が始まったのは1980年代後半で、文学活動全般の解明作業は殆ど進んでいない。 本研究は、女流知識人・単士厘の文学活動について中国文学史上の意義を検討する。具体的には詩歌の精読、関係資料の収集、作詩地のフィールドワーク等をもとに考察する。
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研究実績の概要 |
単士厘は、日本滞在中に数名の日本人女性と交流した。とりわけ、下田歌子とは親しかった。これまで(1)下田歌子の著書『家政学』を翻訳したこと、(2)長男・銭稲孫の妻(包豊保)が実践女学校で学んだこと、(3)離日の際に別れの詩を創作したことなどが知られている。このほか、実践女子大学図書館には、下田歌子が単士厘に送った書簡原稿数点、単士厘の夫・銭恂が下田歌子へ送った書簡などが残されている。本研究では、下田歌子筆書簡原稿及び銭恂書簡を精読した。その結果、以下の事項が明らかになった。(1)下田歌子書簡原稿一式は、1902年夏頃に書かれたことを新たに推定した。(2)頻繁に書簡を往復しており親密さを確認できた。(3)下田歌子は銭恂・単士厘夫妻へ、清国の重鎮・張之洞の長男宛の書簡を託していた(銭恂は張之洞の部下として来日)。(4)実践女子大学所蔵の張之洞扁額は、この書簡が契機となり贈られた可能性がある。以上、「単士釐一家と下田歌子との交流」(『中国文学論集』第51号)。 単士厘の長男・銭稲孫が戦前大阪の懐徳堂で撮影した写真を見出し精査した。その結果、(1)従来1936年のものとされていたが1934年であったこと、(2)清華大学の修学旅行で約30名が参加していたこと、(3)東京、大阪、京都、奈良、広島など訪れたことなどが判明した。以上、「清華大学教授銭稲孫の重建懐徳堂訪問記念写真について」(『懐徳』第91号)。 その他、「目加田誠『北京旅行日記(一九三六年)』翻刻注(終):十一月二十一日~十二月二十四日 付楠本正継宛書翰・書斎対聯」(『文學研究』第120輯)を執筆した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初計画の国内外所蔵文献の閲覧調査が渡航制限等により実施できなかったので、やや遅れている。次年度は、国内所蔵資料の閲覧調査を行う。
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今後の研究の推進方策 |
単士厘と親好のあった日本人女性のうち、未検討の二名(池田信子、妾・朝日)について調査を行う。池田信子については、ほぼ調査が終わっている。朝日については、公刊文献には情報が少ない。国外所蔵文献は未見のため、当面は中国の論文等を参照して検討する。 国内所蔵の単士厘著作を調査し、国内所蔵状況を整理する。また、収蔵時期や経緯を解明する。この調査を通じて、単士厘一家と所蔵機関の関係を明らかにする。また、文献間の異同調査を行い、必要に応じて文献の筆録・印刷時期を解明する。 上記を通じて、単士厘一家における日本観を考察する。
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