研究課題/領域番号 |
20K13203
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研究種目 |
若手研究
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配分区分 | 基金 |
審査区分 |
小区分03030:アジア史およびアフリカ史関連
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研究機関 | 大阪公立大学 (2022-2023) 大阪市立大学 (2020-2021) |
研究代表者 |
貝原 哲生 大阪公立大学, 大学院文学研究科, 都市文化研究センター研究員 (70597179)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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研究課題ステータス |
交付 (2023年度)
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配分額 *注記 |
910千円 (直接経費: 700千円、間接経費: 210千円)
2021年度: 390千円 (直接経費: 300千円、間接経費: 90千円)
2020年度: 520千円 (直接経費: 400千円、間接経費: 120千円)
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キーワード | イスラーム時代初期 / エジプト / 教会・修道院 / アラブ・ムスリム / カルケドン派 / 反カルケドン派 / カルケドン公会議 / 教会組織 / ビザンツ帝国 |
研究開始時の研究の概要 |
451年のカルケドン公会議は、同公会議の決定を支持するカルケドン派とこれを認めない反カルケドン派にキリスト教徒を分断した。 本研究の関心は、ビザンツ帝国からアラブ・ムスリムへと支配者の交代を経験した7~8世紀のエジプトにおける両派の実態にある。これを考察するにあたっては特に、カルケドン派と反カルケドン派との関係、それぞれの宗派とアラブ・ムスリムとの関係、そして両派の教会組織のあり方に着目する。
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研究実績の概要 |
エジプト南部のテーバイ一帯(現在のルクソールとその周辺地域)では、8世紀に入ると聖フォイバンモン修道院が最有力の修道院として台頭するが、その背景を考察した。 フォイバンモンは4世紀初めに殉教したローマ兵士で、偽誓者を罰する一方で、病める者に癒しをもたらすという二つの顔を持つ、エジプト全土で崇敬された聖人である。 修道制の歴史の初期に生み出された著作では禁欲生活を通じてたどり着くアパテイア(不動心)がしばしば「死者になる」という言葉で表現されるが、テーバイのナイル西岸(西テーバイ)にはネクロポリスがあり、多くの修道士たちがネクロポリスの墓を死者と生者の間に横たわる隔たりを取り除く「死者の家にして生者の家」と位置づけ、そこに暮らした。そのなかでもテーバイの聖フォイバンモン修道院は元々、人里から遠く離れたナイル西岸の砂漠の奥深くにあったが、6世紀末頃、非カルケドン派のアレクサンドリア総主教ダミアノスの指示で、西テーバイ最大の集落であるジェーメに程近いハトシェプスト女王葬祭殿跡に移転する。前15世紀に造営された同葬祭殿は、早ければ前8世紀頃から墓地として断続的に再利用された一方、プトレマイオス朝時代以降はイムホテプ=アスクレピオスやハプの息子アメンホテプそしてヒュギエイアといった医術と癒し、健康を司る神々の崇拝の場としても長らく機能しており、治癒の聖人としての側面を有するフォイバンモンに捧げられた修道院の移転先には相応しい場所であった。 加えて、背後に屹立する崖とじかに接して建てられた葬祭殿は参道でナイル河岸と結ばれており、断崖と一体化したかのような葬祭殿をナイルの岸辺から見通すことができた。この自然と人工物が織りなす壮大な景観も、修道院の評判を高めることに大いに貢献したと思われる。 上記研究成果については、日本ビザンツ学会第21回大会(岡山大学)にて発表した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
新型コロナウイルスの世界的流行の影響ならびに記録的な円安により、海外での資料調査を計画通りに進めることができなかった。そのため、科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金)補助事業期間再延長を申請し、承認された。
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今後の研究の推進方策 |
聖フォイバンモン修道院が台頭した一因としては、8世紀後半以降、同修道院が西テーバイで活動する唯一の修道院となったことも考慮する必要がある。しかし、聖フォイバンモン修道院の隆盛と西テーバイの他の修道院の消滅との因果関係については、現時点では明確な見通しを得られておらず、今後の課題である。 また、テーバイ一帯と他の地方との比較分析に関しても、イスラーム時代初期のエジプトにおける教会・修道院の活動の全体像を把握するために必要な作業として進めていく。
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