研究概要 |
江戸時代に出版された数多くの名所図会の分布図を作成した結果,そのほとんどが「都名所図会」と重複することが分かり,昭和になって作成された「京都民俗志」にもその多くが採用されていることが判明した。江戸時代の京都市街地には数多くの井戸や湧水が存在していたので,それを基に,水環境を復元した結果,現在の御所付近から当時の京都市街地で西端にあたる二条城,南限に当たる京都駅付近まで,多数の井戸や湧水が存在していたことが明らかとなった。当時の井戸掘り技術は京都盆地が砂礫で形成されていることを考慮すると,せいぜい5-10m程度であったことと,市街地の南西にも湧水が存在していた(佐女牛井など)ことから,地形の変動を無視しても,地表面下1-5m付近に地下水面が存在していたことが判明した。研究過程の中で見出した,「都名水見競相撲」の解析結果から,当時の都人が認識していた洛中,洛外の境界線が判明し,これは,国宝ともなっている「洛中洛外図」の境界線を詳細に表していると推定することができた。 また,現存する湧水,井戸の水質分析結果から,涵養域の推定を行うための方法の一つとして,降水の酸素・水素安定同位体比を測定し,盆地内の地下水の同位体比と比較する方法が有効的であり,その詳細な調査を実施した。2009年9月~2010年8月までの1年間,京都盆地から北部山地(貴船地域)の3地点に降水採取装置を設置して, 2ヶ月毎に降水を採取し,その同位体比を測定した。降水の同位体比の結果から,本研究地域の降水の同位体高度効果は,δ18Oで-0.17‰/100m(r2=0.981),δDで-0.7‰/100m(r2=0.819)であった。シリカの分析結果から総合的に考えると,京都盆地の鴨川由来と考えられる地下水は存在する深度(5-100m)に関係なく,ほぼ水質が一定であり,ほぼザルのような状態であることが確認された。未だに市街地で良質な地下水を利用した酒造や豆腐,湯葉などが製造できるのは,このような地下水の特徴によるものであることが明らかとなった。
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