研究課題/領域番号 |
21720265
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研究種目 |
若手研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
東洋史
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研究機関 | 札幌大学 |
研究代表者 |
高瀬 奈津子 札幌大学, 文化学部, 准教授 (00382458)
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研究期間 (年度) |
2009 – 2011
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研究課題ステータス |
完了 (2011年度)
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配分額 *注記 |
4,160千円 (直接経費: 3,200千円、間接経費: 960千円)
2011年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2010年度: 1,170千円 (直接経費: 900千円、間接経費: 270千円)
2009年度: 1,820千円 (直接経費: 1,400千円、間接経費: 420千円)
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キーワード | 東洋史 / 仏教史 / 政治史 / 社会史 / 中国 / 北朝隋唐史 / 石刻史料 |
研究概要 |
本研究で行った研究項目のうち、第一は、唐後半期に大きな影響力を持った宦官の政治的動向に関する考察である。近年、西安や洛陽を中心に唐代の宦官の墓誌銘が続々と発見され、その史料が公刊され続けている。その情報を収集し、データ入力をする過程で、宦官の墓誌の文章表現について検討を加えた結果、宦官に対して用いられる独自の用語があり、その使用例を収集して比較、考察した。2010年7月に「唐代宦官墓志的修辞特点」というタイトルで発表した際には、唐代の宦官の勢力拡大に寄与した制度の一つである監軍制度を取り上げた。すなわち、当時、中国各地に置かれた藩鎮に監軍として派遣され、その情勢を皇帝に報告することにより、宦官は高級官僚の人事に関与することになった。こうした宦官独自の機関に関しては、文献資料の記載が必ずしも十分ではない。ところが、近年、中国では西安を中心に唐代の宦官の墓誌銘が多数発見されており、墓誌の本文を分析していくことが可能となりつつある。この発表では、監軍機関のトップである「監軍使」に就任した人物の墓誌を利用し、その内容表現の特徴などを検討した。つづいて、唐後半期に宦官が管理していた皇帝の私的な財庫である「内庫」を取り上げた。従来は、宦官が内庫を握ることで、中央財政の運営に関与するようになったと指摘されていたが、内庫の変遷やその役割を調べていくと、内庫を通じて、中央財政における皇帝権力の拡大を確認することができた。 第二は、北朝隋唐期の山東省および山西省での、石刻史料調査で得られた情報を利用した研究である。まず、1980年代以降、山東省内では、北魏後期から隋代にかけて造られた仏教石刻史料が数多く発見された。それらを取り上げて、北朝後期の山東東部における、仏教造像の造営活動に関わった清河崔氏ら名族層の活動を分析して、北朝後期における名族層の地方社会における影響力を検討した上で、青州一帯の仏教造像の背景について考察した。北朝期では、崔氏は本籍地の地方社会に対して大きな影響力と政治力を及ぼしており、その両方の力がともに作用することによって、青州地域を中心とする山東東部での造像活動の活発化をもたらしたのではないかと考えられる。このことは、次の隋代に入って、崔氏がそれ以前のような政治的活動が見られなくなると、山東東部の仏教造像も減少することからも、裏付けられるものと思われる。次に、山西東南部の沁県で大量の仏教石刻である「南涅水石刻」がまとまって発見された。そこでは造像石を積み上げる「造像塔」が最も多いことから、西方の陝西地方や甘粛地方とのつながりが強いことが分かる。これについては、一緒に発見された「神亀3年(520)造像碑」の碑文から、涅水周辺には涼州武威から移住した人たちが多くいたことが確認できる。北朝時代、山西東南部には「山胡」「稽胡」と呼ばれた集団が分布していたが、その集団の具体的な性格の一つを示すのではないかと考えられ、今年度中にその成果を出す予定である。 第三は、北京の国家図書館で山西省内の地方志に記された、北朝隋唐期の仏教石刻関連記事の調査を行ったところ、清の順治年間に編纂された長治市の地方志に、則天武后が与えた仏舎利に関する記事を発見した。今年になって、光緒年間に編纂された地方志には、その時に仏塔が建てられ、一緒に建てられた石碑の全文が残されていることが判明した。これらの記事を分析することで、則天武后の仏教政策の性格をより明らかにすることができるだけでなく、この舎利を受け取った地方社会の動向も分析することができる。この成果を論文として作成中である。
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